「ベリーベリーストロベリー」




「どうして雪男が祓魔師って教えてくれなかったんだよっ!」

 初めての授業が終った後、メフィストは燐をお茶に誘った。無論、燐は機嫌が悪い。
 十五年間、一緒に暮してきたのに知らないのは自分だけだった。
 出生の秘密すら。そして、こんなにも守られていた事も。

 幼い頃からキレやすかった。考えるより先に手が出てしまう。
 気がつけば惨憺たる有様だった。まるで常に体内に満タンのガソリンが積まれているようだ。
 確かにケンカの理由はあるのだが、ここまでする事もない。
 無関係な人や場所まで傷つけるつもりはなかったのだ。
 だから、怒りが霧散した後は胸が痛くて立ち尽くした。

 しかも暴力は彼を孤独にした。
 理由なく殴る子のように言われ、常に燐は一人ぼっちだった。
 孤児だから情緒不安定なのだ。
 そう言い訳しようにも、弟の雪男には当て嵌まらない。
 悪魔呼ばわりされるのも慣れた。
 それでも、グレなかったのは父や弟だけでなく、修道院の皆からも愛されていたからだろう。

「だって、どうせすぐ解る事じゃないですか」

 メフィストはいつも通り、飄々とした笑顔で燐の怒りを受け流した。

「それに雪男君が君に言わないのに、私が出しゃばるのもね。
 自分だけ蚊帳の外で面白くないですか?」
「…そんなんじゃねぇよ」

 燐は理事長のデスクに腰を下ろした。
 メフィストはいつも含んだ物言いをする。
 ふざけた装束にふさわしく皮肉屋なのだろうか。
 父・獅郎の友人らしいが今イチ、ピンと来ない。
 共通点が見当たらないのだ。
 でも、父が最後に彼を託した男である。
 父に知らない顔があるようにメフィストもピエロに見えるが、ただのピエロではない。

「ただ、家族なのに水臭ェと思っただけだ」
「成程」
メフィストは薫り高い紅茶を啜った。

「しかし、知らないからこそ、貴方はただの人間でいられた。
 無知は罪ですが、知らぬが仏という言葉もある。
 もし、知っていれば、貴方はどうしました?
 現実を笑い飛ばせますか?割り切れますか?

 いやいや、人間はいつもそう強くはいられない。
 自分が悪魔だからと逃げを打つ場合もあるでしょう。
 一度言い訳を始めれば、それに縋るようになる。その方が楽だからです。
 知らなかったからこそ、貴方は真実と真正面に向き合わざるを得なかった。
 貴方が祓魔師を選んだのは痛快の極みでしたね。
 貴方に肩入れしたのはちょっとした気まぐれでしたが、面白い事になりそうだ」

「もういいだろ」
 燐は苛立たしく遮った。『ヒマつぶし』『気まぐれ』。
 サタンもメフィストも同じ匂いのする事を言う。
 だが、燐が存在しているのも、この連中が望んだからだ。
 面白くないが、自分は余りにも無力だった。ならば、ひとまずこの男の言う通りにする他ない。

「あんたもやっぱり教師だな。説教大好きかよ」
「フフ、これも教師の特典です。大いに愉しまないとね」

 メフィストはクロテッドクリームと木苺ジャムをスコーンにたっぷり挟んだ。一口食する。うまい。

「それで、その後、弟さんとはいかがですか?」
 燐は振り返らなかった。

「別に。いつも通り。兄弟喧嘩はいつもだし、仲直りもいつの間にか。それが兄弟だろ?」
「フム。普通のありきたりなケンカならね」

 メフィストは燐にスコーンを薦めたが、燐は受け取らない。

「今回は些か理由が違う。貴方の出生と獅郎の死に纏わる事だ。
 はっきり雪男君に責められましたもんねぇ。
 表面上はいつも通りでも、何処かしこりがあるのでは?」
「ねぇよ」
「だったら、私に当たる事はないでしょう? このスコーンにもね」

 燐は初めて肩越しにメフィストへ振り返った。
 本当に単純でガラスのように透け透けの若君だ。メフィストはにっこり笑う。

「先に教えてもらえていたら、もっとうまく対応できた。
 兄らしく振舞えた。そう思ってるんでしょ?
 雪男君の『医者になりたい』という願いを真に受けて、疑問も挟まない。
 しかもいきなり教師として教壇に立たれ、うろたえるばかり。本当にあどけない程おかわいらしい」
「うるせー!」

 燐は真っ赤になって怒鳴った。
 メフィストは遠慮せず笑いながら、痛ましげに首を振ってみせる。

「貴方もそう簡単に兄の沽券を取り戻せるとは思っちゃないでしょ?」
「う…」

 燐は口ごもった。優秀な弟と落ちこぼれの兄。
 兄の沽券が輝いていたのは雪男が泣き虫で病弱でいじめられっ子だった頃までだ。
 気づけば弟は遥か彼方。
 雪男が新入生代表だった時、驚愕したと同時に誇らしく思ったが、現実はその甘酸っぱい喜びすら吹き飛ばした。
 弟に劣ってると思った事はないが、少し情けない。

「お気の毒で憐れなお兄ちゃんに、ちょっと加勢してあげましょう」

 メフィストは指をパチリと鳴らした。
 扉が開き、執事が大きな箱を持って現れる。

「お気の毒で憐れって何だよ!」
「雪男君と仲直りしたいんでしょ?
 かわいい生徒に一途に慕われて喜ばない教師はいません。
 何かと忙しい新米教師のお手伝いはいかが?」
「えっ…そ、そうだな」

 燐は逡巡した。
 先日、杜山しえみを助けた際、弟に頼られた筈なのだが、何だか雪男の思惑に嵌った形ですっきりしていない。
 その不満を解消できる機会をずっと狙っていた。   
 燐はガサツで壊し屋だから、雪男は自然と触っても大丈夫なものしか机に置かなくなった。
 神経質で綺麗好きなのは、散々学んで身についた生活の知恵だ。
 バイトが長続きしないのも、燐が悪気がなくても、不器用で勢いが良過ぎて失敗が多いからだった。
 だから、雪男は何でも一人でやるし、燐に手助けを頼まない。

 その雪男の手助けをする。
 昔みたいに兄らしく弟の役に立ちたかった。
 まして、合法だ。雪男も上司の命令には逆らえまい。

『兄ちゃぁぁああん』

(昔はあんなにいじらしくて、かあいかったのになぁぁ)
 燐はいつも泣いている雪男の手を引いて歩いた事を思い出す。

(いつの間にあんなパリッとしやがったよ。
 メガネばっかり光らせやがって。ま、立派になったのは俺としても嬉しいけどよ)

「では、これを着て下さい」
 感傷に浸る燐の手にメフィストは衣装箱を押し付ける。

「は? 何これ?」
「名門私立正十字学園の正式な助手のコスチュームです。
 麗しい夕暮れに染まる放課後の教室に教師と生徒が二人きり。
 悩ましい個人教授。自ずと近くなる二人の影と影」
「…俺達、兄弟なんだけど」  
「そういうゆゆしき事態にならぬよう、教師と生徒のケジメはつけて戴く。
 その為の衣装です。何でも形から入る。心も引き締まります」
「お、おう」

 だが、妙に小物が多い。なれない衣装を執事の介添えを受けつつ纏った燐は

「何だ、こりゃあああああああああああ!」

と、真っ赤になって着付け部屋から飛び出してきた。

「メイドじゃねぇか!しかも力一杯フリルひらひらのっ!
 何で白衣じゃねぇんだよ!医者の手伝いは看護師だろ、ふつー!」

「素晴らしい!びゅーてぃほー!」
 メフィストは手を叩く。

「でも、ナース服がお好みでしたとは。これは失敬」
「だから、何でどっちも女物なんだぁあああ!」
「一、女性は魔力が高い。二、祓魔師は男性が多い。三、せっかくならかわいいメイド服がいいや。以上です。
 悪魔相手の凄絶な職場ですからね。せめて少しは夢を見たい。
 五十歳過ぎても童貞を貫く哀しい男達に、潤いと憩いを与えるのも、この学園の務め。
 野郎の助手なんかノーサンキューの方が圧倒的に多いので、女性用しかありません。アンダスタ〜〜〜ン?」
「解らねぇよ、ド変態!」
「貴方の了解は求めてません。
 これが正式な衣装である以上、これを着るか、助手の件はなかった事にするかどっちかです」
「しねぇよ!」

 燐がカッカしながら脱ぎかけた時、メフィストは笑いながら言った。

「因みに私の助手をしてくれた時、雪男君はそれ着てくれましたよ?」
「えっ?」

 思わず燐は振り返る。

「早く立派なエクソシストになるなら、私の下につくのが一番でしたからね。
 最初は抵抗あったみたいですけど、喜んでやってくれましたよ。
 素質あるんですかね、君の弟クン」
「うっ、嘘だっ!」

 燐はテーブルにドンと両手をついて怒鳴った。

「あの堅物で真面目なアイツが、こんなおちゃらけた格好する訳がねぇっ!」
「ええ〜、信じないなら見せちゃいましょう。私の秘蔵アルバム!」

 メフィストはウィンクして、かわいく装飾された嬉し恥ずかしアルバムをバッと広げる。

「うわぁああああっ!」

 燐は見開きのページに慄いた。
 自分と同じメイド服の雪男の写真が一面に貼ってある。
 燐はメフィストからアルバムを奪い取ると食い入るように見つめた。
 今より幼いから3、4年前か。
 初めは恥らいながら、だが、必死に仕事をこなす姿はいじらしくて、かわいくて、健気で凄く愛らしい。
 馴れてきたのか、中盤から笑顔の写真が多くなっていく。それが羨ましい。妬ましい。

(俺はこんな顔滅多に見た事ないぞ。いっつも眉間に皺寄せて、俺に文句ばっか言って)

 そういえば、中学の時、珍しく雪男が髪を少し伸ばした時があった。
 気分を変えてみたと笑ってたが、この為だったのか。

 正直、このアルバムを持って帰りたい。
 燐はボインが好きだが、このメイドに微笑まれたら一瞬で恋に落ちる自信がある。

(だが、男だ。弟だ)

 燐のこめかみに苦悩のしわが寄る。

「あんたがうまい事言って、雪男を騙したんだろ!」
「失敬な。正式な衣装と説明したじゃないですか。
 雪男君には覚悟があった。祓魔師になる為に。
 貴方はどうですか、奥村燐君。貴方の覚悟は?」
「…兄が弟に負けてられないだろ」

 ゆるんでいたリボンを燐はシュッと結び直す。

「女装くらい屁でもねぇよ!」
「結構」

(かっこつけててもかわいい)

 メフィストは笑いをこらえて、頷いた。

(こう言えば納得する。
 ホント、この兄弟って根が生真面目で素直なんですね。
 本当はもっと荒んで世を拗ねたまなざしの、捻くれたガキが出来上がると思ってたのに。
 所謂、箱入りって奴ですか。
 あの獅郎がこんな風に育て上げるとは意外でしたよ。
 余程、双子にイカレたらしい。あの男を変えるとは実に面白い。
 これだから、人間を眺めるのはやめられませんね)

「雪男君は…いや、先生は薬学実験室にいる筈です。私から連絡しておきましょう」
「おう、じゃ、行ってくら!」

 燐は倶利加羅を担ぐと揚々と足を踏み出した。

「あのぉ、まさかその格好で学園を端から端まで横断する気ですか?」
「あぅ!」

 自分の格好を思い出し、燐は硬直する。

「実験室まで鍵貸してくんないのかよ?」
「鍵は祓魔師の特権。早くランクアップする事です。
 この学園を早く覚える機会にもなりますしね。
 とはいえ入学早々、女装癖があると宣伝するのもいいですが、そのような痛ましい噂が広まるのは望ましくない。 
 ですから、これを貸して差しあげましょう」

 メフィストは黒のフード付マントを差し出した。
 フードに猫耳がついてるのが狙い過ぎてて嫌だが顔は隠せるので、燐は仕方なく身に纏う。
 ようやくスカートが隠れる位の長さなので、足がスースーして落ち着かない。

「フフ、まるで真っ黒な赤ずきんみたいですね」
 メフィストは笑った。燐はムッとするが我慢する。これも弟の為だ。
「狼に気をつけて。いってらっしゃい」


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5月インテ用にバタバタ1日で書いたもの。
在庫はまだちょっとだけあります。

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