(え…?)
 僕の魂がビクンと跳ねた。兄さんの赤い舌がちろりと僕の指を舐める。
「チョコ、ついてら」
 兄さんがクスッと笑い、また丁寧に指を舐めていく。目元がうっすらと桜色に染まっている。僕の指なんてまずいだろうに、兄さんはやめようとしない。指のしわ、革の縫製部分、そんな所までチョコなんてついてない筈なのに、兄さんは僕の指をまんべんなく唾液で湿していく。
「……兄さん?」
(何か変だな)
 僕は当惑して兄さんを見つめた。僕は出来るだけ夜しか兄さんを抱かない事にしている。兄さんは『いつでもドンとこい!』なんて言ったりするけど、本当は凄い恥ずかしがりやだしさ。まあ、そこがいつまでも初々しくてかわいいんだけど。
 本当は昼夜区別なく抱き合っていたいんだけど、昼間は色々忙しいし、そうでなくても感情が泥沼に入り込んで出られなくなりそうだしね。だから、僕は自分に歯止めを設けている。僕は『感じる』事に飢えているから、そうでもしないと兄さんを喰い尽くしてしまうだろう。
 僕は夏の日差しみたいな兄さんを見てるのが好きなんだ。兄さんはいつも感情をむき出しにして、笑ったり、怒ったり、金と赤のねずみ花火みたいに走り回ってる。いつもキラキラと太陽のかけらみたいで、眩しいったらない。どんな人も会った途端魅了してしまう。
 軍部の人達も兄さんには暗闇の部分があって、罪を背負って、尚、それに負けずに輝いてるから応援してくれるんだろうな。僕らにも見せない、戦争の傷を心に負ってる人達だもんね。
 彼らは大人だし、職業柄他人をあしらうのを何とも思ってない冷淡な部分がある。子供なら尚更だ。いくら食いついたって軍の機密を盾にシャットアウトする。
 だけど、兄さんだからこそ、彼らの壁をこじ開けた。
  国家錬金術師は軍の狗かも知れないけど、兄さんは権力に膝を屈したりしない。日々に流されがちな大人達の間で、傲然と踏みとどまる。駄 目な事は駄目だと叫ぶ。大人でも背負いきれない闇を背負って、それでも前へ向こうとしてる。
 昔っから兄さんは弾けたタンポポみたいに明るかったけど、僕が鎧になってから、もっと暴れ回るようになった。
『お前が感じられない分、表に出せない分、俺が笑ってやる。俺が怒ってやる。
 この身体はお前のもんだから、俺は他人より二倍も、いやもっとたくさん色んな事感じてやるから…』
 そういう兄さんが本当は僕よりもずっと感情を抑え込んで、押し殺して、孤独と向き合い続けてる事を僕は知ってる。それでも、兄さんは天に向かって手を伸ばす。笑ってみせる。まるで永遠に神に挑んでるみたいに。
 確かにかつて英雄は太陽に焼かれて墜ちたけど、もし、翼を取り戻したら、何度でも空を目指すんじゃないかな。血を吐いたって、また墜ちたって、いつか空に届くまで。
 兄さんは強い。自分の弱さを知ってるから、兄さんは強い。
 でも、それでも日が落ちると、静けさが、闇が包むと、僕達はやっぱり駄目で、悲しみや切なさが忍び寄るのに任せて抱き合ってしまう。
 ただ鋼の身体になってからすぐは、そう簡単じゃなかったんだ。
 子供の頃、何の疑問もなく、体中探り合って、飽きもしなかったのに、まるで壁が出来たみたいに駄 目になった。触れ合う事が怖かった。傷つける事を恐れた。
 昼間じゃれ合って、笑って、辛い事も笑い飛ばして、いつも通りで、でも、ふとした拍子に擦れ違う。その事を認めたくなくて、理由を考えたくなくて、でも本当は二人とも解ってしまってて、それで随分悩んだ。二人とも嘘をついて、その上で笑って、取り繕って、壊したくなくて、必死だった。今、考えると馬鹿みたいだけど、人間の心ってのは素直じゃない。
 悩むから人間なんていうけど、悩んでいる理由が人とはかけ離れてるから笑っちゃうよね。誰にも相談できないし、お互いが考えるべき問題だった。こういうのは心の強さとは関係ないから、余計に重かった。
 でも、それも僕達が一歩先に進むプロセスの為の時間だったのかな。
 ありのままっていうより、開き直りだよね。僕はからっぽの鎧で、兄さんは機械鎧。これが現実で、日常だ。人間は何でも馴れる。馴染んで、少しばかり諦めながら受け容れる。生きていく為に。
 それは絶対に元の身体を取り戻すという決意とは、別の事だ。兄弟で男同士っていう禁忌は最初っから僕達にはなかったから、本気で抱き合っちゃうと、壁なんて簡単に崩れた。神様の都合なんて関係ない。あんなに悩んだのに、馬鹿みたいに呆気なかった。僕らが本能で頭が一杯の、思春期真っ盛りの子供だったから、よかったのかも知れない。僕らは本当にお互いの事しか頭になかったんだ。
 僕は肉体的に、兄さんは精神的にお互い依存し合ってる。
 生身の身体は兄さん一つ分だもん。しょうがないよね。
 だからこそ、僕は常々我慢して、我慢して、かわいいとか食べちゃいたいとか、本当は前みたいに食べ合いっこしたいとか、口走らないように、せめて、昼間だけでも言うの自制してるってのに、どーだろうね、このバカ兄は。
 何かその舌遣いも息づかいも普通じゃない。つーよりむしろ変。
 まだ早いよ。夕食も食べてない。お風呂も夜の読書もまだなのに。
 その気になったら、溶けちゃうのは早いんだけど、一時のブランクのせいか、それなりに思春期の影響なのか、兄さんはすぐには僕に手を伸ばしてこない。むしろ妙に恥ずかしがるようになった。開き直っても躊躇いは残ってる。意識しすぎなんだよ、兄さんは。
 前は僕より積極的だったのに、僕を抱く時は話もろくに聞いてくれなくて、激しすぎる位 だったのに、最近、自分の時は『アレは駄目だ』『灯り消せ』『じろじろ見るな』だの凄くうるさい。
 我を忘れたら、大抵の事はさせてくれるんだけど(その後、ギャーギャー言われるけど)もう自分勝手な所は一生直らないんだろうね。
 だから、兄さんからこんな風に積極的に僕を欲しがるって、何か久しぶりで新鮮だった。
(バレンタインだからかなぁ)
 兄さんは好きって口にするの、妙に照れる時があるから、行動で示してくれてるのかな。
 その時、僕はふと空箱の裏に目が止まった。ウィスキーボンボンや洋酒入りの表示の多さにギョッとする。え、まさか、これほとんど全部?
 そうだ、大人向けなんだ。まずい、まずいよ。兄さんは僕と違って、酒に少し弱い。体調によっては匂いだってクる時があるのに。
 匂いが全く解らない僕は気づかなかった。軍部の人達も兄さんが酒に弱いなんて知らないし、まさかこんなにいっぺんに食べるなんて思わないだろうしね。
 兄さんが食べてるの見るのが好きなんて、僕も馬鹿だった。目元が赤いのも当たり前だ。積極的なのも仕方ない。兄さんはもうぐちゃぐちゃに酔っぱらっちゃってんだ。

 

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