「カナリア」



(あ〜あ)

 アレンはこの日、何度目かの溜息をついた。
 退屈だ。師匠は例の如く唐突にいなくなり、必然的に愛人宅で足止めを食っている。
 今回の愛人は何処かの貴族の囲われ者だった。本人は女優だか、歌姫だと称しているが、練習している所もポスターが広告塔に貼ってあるのも見た事はない。何回か端役で出て、幸運にも見初められたかしたのだろう。

 彼女が『本物』かどうかは解らないが、素晴らしく美人であり、世間にとっても、彼女自身にとってもそれで充分らしい。
 彼女の『飼い主』は未だ現れた事も、日常の話題にも上らないが、潤沢な金の元、豪華な屋敷に住んでいるし、美貌と金に群がってくる追従者にひっきりなしに囲まれて、彼女は満足しきっているようだった。

 その有象無象の若造達と師匠は明らかに一線を画している。
 常では優雅な伯爵夫人を気取る彼女も、クロスの前では仔猫のようだった。しなを作り、甘え、しなだれかかって秋波を送る。そのたびに周囲がどよめいた。

 だが、師匠はどの愛人にも例外は作らぬらしく、二人きりの時はともかく、集団の間では悠然と振る舞って常に距離を置いている。彼女はそれが不服らしく、子供のように拗ねた。他の男達に慰められながら、イチゴをしゃぶって気を紛らわしたり、小さな事件を起こしてはクロスの気を引こうとしている。
 クロスは十に九は無視しているが、気まぐれに相手をしてやるようで、その時の彼女はアレンから見ても小鳥のようにかわいらしかった。縮れた羽を日に透かせ、囀っている巻き毛カナリアのように。

『かわいいか〜?』
 そう言うと、クロスは肩をすくめた。
『あれはあれで、あいつの計算ずくなんだ。俺を追従者向けの刺激剤に使ってる。あいつは自分自身にしか関心がないからな』
『それはそうでしょうけど』

 彼女はエゴイストだったが、クロスにだけは違うような気がした。だが、師匠は口を歪めたきり取り合わない。クロスが何故こんな頭の空っぽそうで、自分自身にしか関心のない女性とつき合っているのか、それはアレンにも解らなかった。


 そのクロスは例の如く、昨夜突然失踪した。


 彼女は当初叫んだり、屋敷中を無意味にうろつき回ったり、電話をあちこちに掛けまくって、メイドや追従者を右往左往させたが、気がつくと、何もなかったように独りソファに寝転んでいた。どうもそんな悲劇的な演出をしてみせるのが彼女は好きなだけらしい。
 詰問され、街中あちこち探し回らせられたアレンは大迷惑だった。どうせ街になどいない事は解りきってるのに。クタクタになって、ティムを抱き、師匠が一刻も早くこの急場を救ってくれないかと星に祈った。

 今朝もクロスの事を問われるかと思ったが、アレンなど眼中にないようだ。豪華な金色の巻き毛を念入りに縮らせ、ピンクのガウンを着て、メイドに爪を塗らせながら、雑誌をめくっている。
 元々、この館に子供はお呼びでないのだ。貴族は従者を連れている者もいるから、クロスの小姓か何かだと思われてるのかも知れない。

(困ったなぁ)

 追従者の出入りは激しいから、彼女には愛人の一人位いなくなってもどうでもいいのかも知れないが、置き去りにされたアレンは困る。
 この館は彼女の趣味で見事な程ピンクとパールホワイトだけで構成されており、白と黒を基調とするアレンをそれだけで居たたまれない気分にさせた。
 彼女は昼過ぎにようやくアレンに話しかけてきたが、恐れていた師匠の事ではなかった。

「その髪、ピンクに染めたらどうかしら? この子達とお揃いで」

 足元で絶えずキャンキャン鳴いているプードルを抱き上げ、ニッコリ笑って提案された。
「……………」

 さすがに絶句する。小姓どころか、アレンをクロスのペットと勘違いしているらしい。
 実際、娼婦系の愛人達は十人が十人、アレンの髪を染めたがる。金髪、ブルネット、黒髪。言い出す色は様々だったが、白髪がどうも気に障るらしい。
 彼女らは世間に縛られずに生きているように見えるが、そこはやはりヴィクトリア時代の人間なのだろう。見栄と虚栄と礼儀作法に凝り固まった彼らは世間体を何より重んじる。

「かわいいじゃない、ピンクの髪」

 彼女はメイドに塗らせ終わった爪を日に当てて吟味しながら微笑んだ。中身はどうあれ、その声は微かにハスキーで魅力的である。

「白髪なら何色にでも染められるわ。私なら毎日色を変えるわね。すみれ色にミントグリーン。グラスブルーも綺麗よね。そしたら、その堅苦しいシャツじゃなくて、シルクのフリルのレースを着てね。二人でクリスタルパレスにでも出かけるのよ。
 このかわいこちゃん達を抱いて、隣に座ってくれたら、私もきっと映えると思うわ」

(ああ、やっぱりペットと思っているんだな)

 アレンは内心溜息をつく。
 そんなお出かけより、発動の訓練をしたいのだが、居候の身としては異常な食欲に注目されるのは気が引ける。アレンの年頃の少年の食欲は底なしとはいえ、アレンのはちょっと度を超しているからだ。
 勿論、毎日数十人の恋人候補が出入りし、多くの召使いを抱えてビクともしない彼女の浪費の前では、アレンの食欲ですらビクともしないだろうが、気詰まりな事には変わりない。
 家事を手伝おうにも、この館はメイドであふれているし、ならば、せめて読書でもして暇を潰したいが、貴族の館なのに書斎すらなかった。難しい詩や朗読はあまたいる文学青年に任せればいいらしく、『ゴーディ婦人雑誌』など女性雑誌以外の本は皆無だ。社交的会話も誰それの噂や恋の鞘当て、お天気の話がせいぜい。毎日毎晩ほぼ同じ事が繰り返され、同じ所でみんな笑い、歌い、同じ所で手を叩き、大げさにびっくりしたりしている。

(まるで同じ劇を観てるみたいだな)

 よくみんな飽きないなと思うが、誰も疑問を差し挟まなかった。元旅芸人から見れば全く落第の演目でも、何処の社交場でも似たり寄ったりな会話を続けている。
 彼女はここの女王様だった。彼女が囀ると、みんなが彼女に傅き、褒め称えている。うがってみれば、彼女が自分を主演女優とも歌姫とも自称するのも誤りではないかも知れない。
 しかし、自分も組み込まれてはたまらない。アレンは首を振った。

「でも、僕、女の子じゃないですから」
「そうお?」
 彼女は爪を撫でていた。もう少し濃い色でもよかったかしらと唇が動いている。

「クロスが誰かを連れてくるなんて初めてだから、そう思ったのよ。この人もとうとう雨降りにうんざりしたのねって。あの人って、出会った時からいつもずぶ濡れだから、雨に打たれたい方なんでしょうけど、私はゴメン」
「ずぶ濡れ?」
「雨の日はカールがうまく巻けないのよね。やるせないし、景色は灰色だし、冷えるし。私、雨の日って大嫌い。
 でも、クロスってずぶ濡れだから変な男(ひと)ってずっと思ってたの。解るでしょ? 雨の日には傘をさすものよ。
 だから、私、昨夜言ってやったの。そしたら、あの人怒り出しちゃって。おかしいわね」
「はぁ…」

 指を振り立てる彼女の話についていけず、アレンは首を傾げた。師匠が雨に打たれたいなんて初耳だ。雨の日は髪がべしょっとなるので、むしろ機嫌が悪いのに。

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