(だけど、こんな話し方じゃ師匠も怒るだろうな)

 アレンはクロスの一挙一動を目に留めて、彼の間合いのタイミングを読み、話しかけたり、世話を焼いたりする。クロスは気難しいから、これがなかなか大変なのだ。くつろいでいるように見えても、話しかけていい時と悪い時を見極めるのは時間と勘を要する。彼の愛人であろうとも、これで失敗する女性が多い。まして、意見しようものなら、全面 対決の決意が必要だ。
 無論、師匠の失踪とケンカは関係ないと思うが、彼女の話は少し引っかかる。

「ずぶ濡れってどういう事ですか?」
「そのままの意味よ。出会った時、ひどい嵐の日でね」
 彼女は急に声を潜め、うち明けるように熱っぽく囁いた。

「彼は天から降ってきたの!」

「天から?」
 彼女は甘ったるく思い出すように呟いた。
「そう。私、ベッドで寝ていたのね。つれない恋人が去って、さめざめと枕を涙で濡らしてたの。窓を嵐がガタガタ言わせてたわ。
 私、稲妻って大嫌い! どんなに私が注目されてても、雷がピカッと鳴るだけで場をさらってしまうんですもの。神様のなさる事にしては、随分失礼だと思うわ。
 でもね、誰かが『あれは神様があなたの写真をお撮りになってるんですよ』って言ったの。ちょっとステキな言葉と思わない?
 神様は全てをご覧になってるけど、残しておきたいものってあるわよね。いくら神様の記憶力がよくても、この私の美しさを未来永劫留めておきたいって瞬間もあると思うわ。だから、最近は雷が鳴ると窓際でポーズを取る事にしてるの。
 ただもう少しストロボの音と光を加減して下さってもいいのに」

「へぇ。それで師匠は?」
 アレンはようやく相づちを押し込んだ。彼女は肩をすくめ、話を戻す。

「でも、その夜はとにかく寝てたの。一晩中色んなポーズを取るのも、なかなか大変だから。
 そしたら、いきなり天井が裂けたのよ! 私、家の中に雷が落ちたんだと思ったわ。びっくりして、息もつけないでいるとシーツの上にクロスが立っててね。あの黒いコートから滝みたいに雨の滴をベッドに落としていたわ。

『お休みの所、申し訳ありません、美しいマドモアゼル』

 クロスは礼儀正しく、私の手を取る栄誉を求めたわ。びしょ濡れでおまけに泥靴のまんまだったから、夜忍んでくるにしては、余り不作法だと思ったけど、ちょっとない程劇的でしょ。私、痺れてしまったわ。
『まぁ、どうしましょう、私こそこんななりで。構いませんわ、私』
 って、クロスに手をキスするのを許してやったの」
 そしたら、クロスは
『明日、オリヴィエ子爵と…(あら、他の方って思い出せないわ)が4人朝食の席に降りてらっしゃらないかも知れませんが、お気になされないように。彼らは夜遅く旅立ったんですよ』
 って、私を姫君のように抱き上げて、別の寝室まで運んでくれたの。雷が凄かったので誰も気づかなかったみたいで助かったわ。天井に穴が開いてては、埃っぽいし、冷えるものね。
『あら、わざわざお気遣い下さってありがとう。執事に言って席を減らすように言いますわ』
 って、私は貴婦人らしくおっとりと言ったわ。私の若い方達は寝室に引き上げた後でも、思いつきでカジノや夜の面 白い場所に出ていくから、私、気にもした事ないのにバカねって思ったけど、勿論そんな事言わなかった。

『こんな嵐の夜に出ていくなんて、若い方達って判断が足りませんのね』

 って言ったら、クロス笑ってたわ。

『あなたはなかなか鋭くて、勇気がおありだ』
 って。
 そして、彼はピリッとする味がするキスをしてくれたわ。煙草を吸ってるせいかしらね。それとも、血の味かしら。女性の前で煙草を吸うなんてとんでもない不作法だと思うけど、彼は様になってるわ。男の方によるけどね。勿論、噛み煙草なんて論外よ。
 そうね、クロスのあのキスは好きだと思うわ。私をいい気持ちにさせてくれたから。
 血の味のするキスなんて、された事ないでしょ、白い坊や」
「…いえ」
「まぁ、ませてるのね」
 彼女は弾けるように笑った。


 どうやら彼女と師匠の出会いはアクマが縁だったらしい。勿論、彼女と師匠の性格からして、こんな優雅な巡り会いなどではなく、踏んだり蹴ったりな夜の果 てだったに違いないのだが、彼女のマシュマロみたいな脳では、甘ったるく変換されているらしい。
 だが、それも仕方ない。アクマやエクソシストなど、彼女の世界とは全く縁のないものを理解しろという方が難しい。そうでなくても、彼女はお気に入りのものしか覚えないし、覚えようともしないのだから。

(ああ、だから師匠はここに来たのかな?)

 アレンは何となく察しがついてきた。クロスは愛人との逢瀬や金を借りる為だけに来たのではない。クロスが只漠然と留まるなんて、無意味な行動を取る筈がないからだ。夜出歩くのも、街を転々とするのも必ずそこに目的がある。
 師匠が愛人に選ぶような社交界の花や色町の女性の元には必ず情報も集まる。そして、人の集まる場所にはアクマも集まりやすい。こんな人の出入りが多く、ノーチェックの場所ではアクマも進化しやすいだろう。しかも貴族の師弟が多い。裏カジノやクラブのように、ある意味、こんな場所は厄介だ。貴族とアクマがすり替わる事は、国の中枢を乗っ取るに等しい。


 しかし、彼女はそんな危機の上にいる事を全く気づいてないようだった。アクマも誘蛾灯である彼女を攻撃する事はないのだろう。きっと周り全員がアクマとすり替わったにしても、少しも代わり映えのしない生活が繰り広げられるに違いない。



 だが、今現在この屋敷にアクマはいない。だから、師匠はアレンを置き去りにして行ってしまったのだ。理由は解ったが淋しかった。自分だって、もう戦える。実戦も経験し、技も覚え、コツを掴んだ。もう昔の頼りない子供ではない。とてもその背を守る域まで達してないかも知れないが、行き先や帰宅予定くらい告げてくれてもいいではないか。
 言葉一つでいいのだ。マナだって、たまに独りで出かける時もあったが、必ず『いってきます』と言葉を置いていったものだ。

(つまり、信頼されてない)

 それが胸に染みてくる。仕方ないと思ったが、胸が痛んだ。

「ねぇ、クロスと旅するのって面白い?」

 突然、問われてアレンは物思いから醒めた。
「え〜〜、余りというか何というか。借金取りに追われるし、変なカジノに出入りするし、訳の解らない命令されるし、毎夜、女性…」
 アレンは慌てて口を塞いだ。だが、彼女は眉も上げない。銀の壷からキャンディーを取ってしゃぶっている。
「いいのよ、続けたら?」
「いえ……」
「モテるんでしょ? 他にも一杯女がいるんでしょ? 当たり前よ。仮にも私の愛人なんですからね。もし、反対だったらそっちの方がイヤだわ。不能かホモじゃないかと思ってしまうわ」
「はぁ」
 アレンは内心冷や汗を掻いた。今のところ、女の愛人以外会った事はないが、師匠がそっちもイケる事は身に染みて知っているからだ。

「あなた、いじめめられてるでしょ? 置いてかれたのも、きっとそうよ。クロスって、好きな子ほどいじめ倒すのね。私も随分やられたわ。弄んでるんじゃないかと思うわ。
 だけど、手加減を知らないから、彼が本気になった時が怖いわ。いつかあなたも殺されるかもね。
 でも、いいじゃない。クロスに愛されてるって実感しながら死んでいける訳よ。彼が凶器を取り出したら、歓喜に打ち震えるかも知れないわ」
「余り…嬉しくないです」
 そういう愛情表現をされてもたまらない。それとも、彼女はそういう特殊なタイプなのだろうか。

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