「あの…ホントに師匠の事好きなんですか?」
「まさか! クロスが私を愛してるのよ。だから、通ってくるんでしょ?」
 彼女らしい答にアレンは思わず苦笑いした。

「だから、一緒に旅に出ようなんてサラサラ思わないわ。ここでなら私は『一番』だしね。私は一番が好き。
 でも、旅に出たら、そうじゃないもの。そうでしょ?」

 アレンは返事が出来なかった。彼女は美しい。だが、もっと美しい愛人や身分の高い女性、金持ちの女性も知っている。
 だけど、この街で、この館で彼女は最高の美人だ。プライドの高い彼女はこの贅沢な檻の中で満たされている。

 アレンはふと思った。どの愛人達もクロスを待つばかりで一緒に行こうとする者は一人もいなかった。クロスとの別 れを惜しみ、涙に暮れるが、それでも旅を共にしよう、ついていこうと言い出す者はいなかった。
 
それはきっと愛人達が彼女と同じ考えでいるからではないか? みんなクロスの一番でいたいのだ。その刹那だけと解っていても、それで充分なのだ。だから、どんなに一途な振る舞いを見せる女性でも、誰もクロスの押し掛け女房になろうとしない。


「だけど、あなたは一緒に旅してる。だから、ちょっと興味があったのよね。どんな旅かしらって。クロスの側で色んなものを見てるんだろうなってね。
 まぁ、クロスが相変わらず、ずぶ濡れなのは仕方ないけど。そうでなかったら、あなたに嫉妬して今からでも家を追い出すかもね」
「あの、さっきから師匠がずぶ濡れって何ですか? 師匠は別に濡れてませんよ」
「水もしたたる、いい男って言うじゃないの」
 彼女は荒々しく肩をすくめた。

「クロスはね、嵐の中に立ってるのよ。いつだってね。あの人に視線の先には別なものがあって、それに立ち向かってるんだわ。うちの若い子達とは全然違う次元に住んでるのよ。
 クロスは汚れる事も濡れる事も気にしてないわ。それにねぇ、私の所で暖まろうとか、雨宿りしようとも思ってない。ただ、私に逢いたいから来るのよ。何処の女に対してもそうでしょうよ。自分の中で渦巻いてる何かを鎮めたいだけ。一時のぬ くもりや慰めが欲しいなんて思ってないわ。だから、忌々しいのよ。腹が立つのよ。

 あの人は多分、獣なんだわ。そして、私みたいな女の中に同じ獣がいるのを嗅ぎつけて、ベッドで獣にしてくれるのよ。だから、憎たらしいけど、クロスには逆らえないのね」
 彼女はアレンを見つめた。

「だから、ずっとクロスにふさわしい相手なんて現れないと思っていたわ。あの人は女性に、いえ、誰にも何にも求めてないもの。
 私がどんなに着飾っても、優しく撫でてあげても、抱きしめて私に嬉しがらせを口にしてる時だって、心はそこにないのよね。誰か想う人でもいるのかと思っても、中に入れてくれる人じゃないし。
 安らぎを得たいとか、孤独を癒したいとか、そんなの望んでないのよ。そりゃ、恋の遊びに本気は野暮だけど、少し心を滑り込ませるから、華があるというものよ。クロスは魅力的だけど、そういうとこ、ちょっとかわいくないわよね。

 なのに、いきなりあなたを連れてくるんだもん。びっくりしちゃった。
 一体、その理由は何だろうって、密かにあなたを観察してたのよ」

 彼女はいきなり真正面から、キラキラ光る青い瞳でじっと見据えた。アレンはたじろぐ。女はコワイというのは、こんな瞬間をいうのかも知れない。

(この人は頭は空っぽだけど、ただの空っぽな女じゃないな)

「買いかぶりですよ。僕は只の弟子ですから」
「あら、嘘でしょ?クロスは弟子なんか取らないわよ」
 アレンは頭を掻いた。最初にクロスからちゃんと紹介された筈だが、やっぱり小姓か従者と思っているのか。
「えっと、僕、そうなんです。ずっと『師匠』って呼んでるでしょ?」
「『呼び名』なんてどうでもいいわよ。先生でも、あの人でも。じゃ、あなたもクソシストなのね。クロスみたいに軍人ぽくないけど。
 クロスはきっと何処かの情報部に所属してるって私は睨んでるのよ。ステキじゃない、スパイの愛人なんて。クソシストって秘密の匂いがするわ」
「………エクソシストです」
「だから、呼び名なんていいじゃない。何とかストでしょ? クロスが誰かを手元に置く事が問題なの」

(大ありですよ)
 と、思ったが逆らっても、話が先に進まないのでアレンは黙っている事にした。

「師匠というなら、一体、あなたクロスに何を教わってるの? ギャンブル? 酒の飲み方? 女の口説き方? 抱き方?
 それとも、抱かれ方かしら。誤魔化さないでね。クロスがあなたが子供だからって手加減しない事くらい解ってるんだから」
 アレンは真っ赤になった。愛人から、ここまで赤裸々な詰問をされた事はなかったからだ。顔や態度で一目瞭然なのだろうか。

 では、他の勘の鋭い愛人達もきっとすぐに気づいていただろう。ただ、慎みと優しさと牽制が彼女らの口を噤ませていたのだ。そんな子供を何ヶ月も置いていかれて愛人達はどう思っていたのだろう。それを気にも留めないクロスが恨めしかった。

(ああ、師匠ったら!!)

 アレンは必死で声を振り絞った。
「まぁ色々と……悪い事ばっかりって気もしますけど。でも…」

『バレる為に着てんだよ』

 クロスの言葉をアレンは思い出していた。クロスはアレンが気づいた事しか教えようとしない。自分で考えて、自分で得ないと何も与えてはくれない。必死にあがいて、歯を食いしばって、突き放され、そして、やっと少しだけ報いてくれる。
 あの言葉だって、団服を着た事もないから、まだ実感はできないが、いつか解る時も来るのだろう。


「でも、僕もいつか何かを教わる気がします。師匠は僕がかわいそうな子供だからって拾ったんじゃないですから」
「ふーん。私も昔、心で歌えとか、心で踊れとか、訳解らない事言われたけど、幸運な事に殆ど覚えてやしないわ。ちゃんとそんな事出来なくても、ここで幸せを掴んでるしね。
 それで」
 と、彼女はアレンを指さした。

「弟子というのは、先生の教えとか意志とか継いでいくものなんでしょ?
 弟子というなら、では、あなたはクロスの何を引き継いでいくの?」

「え……?」
 明らかに虚を突かれて、アレンは目を見開いた。最初の教師はマナだった。基礎、実践。旅芸人としての心構え。旅人の心得や人同志の思いやりと愛情。まず興味を持たせてから教えるので、アレンの覚えも早い。アレンの人となりはマナの教えの賜物だ。マナはよき教師でもあった。

 反して、クロスは何も教えない。アレンの自主性と覚悟がなければ何の進歩も見られなかっただろう。クロスの言葉、雰囲気、生活、全ての小さな事から、戦闘とエクソシストの何たるかを掴み取っていかねばならない。
 余程の勘の良さと頭脳を持っていなければ難しいが、イノセンスの性質は一個一個全て違っており、また、アレンが希有な寄生型である以上、マニュアルなど作りようもない。職人や軍人と同じく経験と実戦で覚えるしかない事をクロスはよく知っていた。
 元々、クロスは気まぐれで容赦がない鬼軍曹タイプだ。逆鱗に触れぬよう、アレンはクロスの一挙一動を見つめ、常に注意力と反射神経を研ぎ澄ませねばならない。今は呼吸するように反射的に出来るようになった。自らの発動に振り回され、空回りばかりで何も出来なかった子供が、今は何とかアクマと対等に戦えるようになってきている。
 彼女にそれを指摘されるまで、無意識にどれほど多くの事をクロスから吸収しているか、アレンはこの瞬間までよく解っていなかった。
 確かに自分はクロスから何かを得ているのだ。そして、やっとここまで来た。ただそれは寿司の握り方や戦闘の駆け引きと同じで、何をどう説明する事もできない。
 アレンもまだクロスの心など解らないのだから。

 それでも

「それは『これだ』と話せるような事じゃないです」
 アレンは左手を握りしめ、微笑んだ。
「でも、それが解った時、僕は師匠から何かをもらったんじゃないでしょうか。その時、僕もやっと師匠から卒業出来るんだと思います」

 

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