「ふ〜〜〜〜ん」
 彼女は小鳥のように首を傾げ、しげしげとアレンを見つめた。
「そうなんだ。
 クロスにふさわしいのは、子供を残すとか、癒してやるとか、優しさとかそういう者を与えてやれる人じゃないのね。
 クロスの行く果てを目を背けずに見ていられる人なんだわ。同じ嵐に晒されながらね」

「行く果て…」

 アレンは呟いた。その言葉は荒野を匂わせた。エクソシストの人生は神と悪魔がしつらえた黒と白の盤上にある。そして、そこには花など一輪も咲いていない。人生のどんな脇道にも花は咲いているものなのに、チェス盤には一回休めも避難所もないのだ。弾かれたらそれで終わりだ。チェックメイトの声が響くまで、ゲームは終わりなく続く。千年伯爵とて、ゲームの駒(ポーン)かも知れないのだ。
 駒に安らぎがあるとしたら、ゲームに興じる者の手が自分を掴むまでの間くらいだ。アレンはまだ正式に盤上に乗っているとは言い難い未熟な子供だが、既にゲームは始まっている。
 養父に固く誓ったように、アレンは今はただひたすら前に進みたいだけに過ぎない。戦えるようにはなったが、まだ雑魚相手が精一杯。エクソシストの真の戦いがどんなものか、師匠の影で垣間見ているだけだ。未だ置いていかれる以上、酒と女と賭場に明け暮れる師匠の真の顔など、見せてはもらえない。

 だが、いつかクロスの苛烈な人生に踏み込む事になるのだろう。凍てついた荒野を炎のように、何者も遮られず、悠然と歩む師匠の姿を見る事になるのだろう。縋る手も哀願も涙も、彼を止める事は出来ないし、アレンもそれを選ばない。
 ただ、共に行き、あのたなびく赤い髪から飛び散る火花を浴びてみたいと思う。
 その道がどんなに過酷で自費なく果てしかないのだとしても。

 クロスが自分を連れているという事はそれを見るのを許された者なのだ。
 アレンの握りしめた手が微かに震えた。

 

「私はゴメン、そういうの。ここは綺麗だし、ぬくぬくであったかいもんね。男の人って、変な事に陶酔するんだわ。何で、雨とかツライものに好きこのんで浴びたいか解らないわ。傘を差せばいいのよ。
 足が汚れるし、泥が跳ねるし、カールが落ちちゃうじゃないの。バッチィわよ」

 アレンは思わず苦笑した。彼女は解っているのか、いないのか。感受性が強くて、クロスの放つ気を感じているだけなのか。
 だが、彼女の俗っぽいお喋りは、心のバランスを取り戻してくれる気がした。ここは浮世離れしているが、自分達の殺伐とした生活に較べれば一般 の日常に触れてる感じがする。読みかけの雑誌も、囓りかけのクッキーや口紅のついたティーカップ、そのだらしなさは人間の生活そのものだ。

(じゃ、師匠もそれを演出しているのかな)

 師匠は猫と同じで、清潔と身だしなみに気を遣うが、あくまで自分のみで、煙草の灰は床に落とすし、酒瓶は何本転がっても気にしない。

(いや、やっぱ違うし)

 あれは単に片づける気がないだけだ。アレンも無頓着なのは絶対許してくれないのだから。


「あなたも笑うのね、そういうとこ。それがクロス譲り?」
「え、いや、どうなのかなぁ。うん、そうかも知れないです」
「やっぱりバッチィわね。ねぇ、クロス」


 突然、彼女が言ったのでアレンは飛び上がった。振り仰ぐと師匠が背後に黒々と聳えている。アレンの呼吸が止まった。

「何の話をしてるんだ、お前ら」
「あなたがバッチィって話をしてるのよ」
「ちょ、ちょっと!! 違いますっ!!」
「何よ〜。今更否定しないでよ、坊や。あなたもそうかもって言ったじゃない」
「ぼ、僕がそうかもって言ったのはそういう意味じゃないです!」
「同じ事よ。そうじゃない? そういうとこ、本当に師弟ね」
「あ、あの!」
「ほぉ、そうか〜、アレン〜〜〜〜」

 クロスはアレンの両肩にポンと手を置いた。その指がメリメリと肩に食い込む。アレンは思わず痛みと恐怖で悲鳴を上げた。彼女はそれを見て、満足そうにニコニコ笑う。青い瞳がクロスを見上げた。


「おかえりなさい、クロス。おみやげは?」
「お前こそ俺の弟子をおもちゃにするな、性悪女。それより、帰ってきた恋人にキスの一つもくれないのか」
「勝手に出てって、勝手に帰ってきても、文句一つ言わないかわいい私を誉めてほしいもんだわ。あなたの方こそお礼のキスをすべきでしょ?
 でも、私、ここを動く気は一つもないの」
 彼女は止まり木に揺れるカナリアのように、ソファの上で膝を抱え、ゆらゆらと笑っている。
「フン」
 クロスは歩み寄ると、彼女にキスした。顔だけ振り向く。

「アレン、馬車を待たせてある。5分以内に荷造りを完了しろ」
「ええっ、今ですか!?」
「それとも、これからの濡れ場を見学したいか。それとも、さっきのバッチィ話を蒸し返して欲しいのか」

 アレンは真っ赤になった。慌てて身を翻す。その背に彼女はクスクスと笑った。
「いけない人。大事な人ほど、ちっとも大事にしない」
「お前はどっちがいい?」
「そりゃ、かわいがってくれる方がいいわ。少しでも痛いのは嫌いだもの。あなたとは甘いままで終わるのがいいわ」
 そう答えて、彼女はクロスの胸に顔を埋めた。


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