「名前」1(ラビアレ)
ラビには小さな癖がある。
誰かが『アレン』というと、ほんの少し視線を向けるのだ。
(アレン君の事が気になるのね)
リナリーは最初、思ったが、アレンが一緒にいてもそうなのだ。誰かが『アレン』と言うと、必ず一瞬だけ意識がそちらに向かう。
(変なの)
リナリーは首を傾げた。彼女は団員の状態に気を配るのが自分の務めだと思っている。牢獄が『ホーム』に変わった時からの習慣だ。
コムイは自分の為に全てをなげうって、室長の在職に就いてくれた。兄には兄なりの夢があっただろうにだ。若すぎる室長に科せられた責務の重さを知って、彼の手助けをしたかったが、幼い彼女に出来る事は余りない。
そんな時、一人の職員が病気を隠して無理をしているのに気づき、知らせた事で命を取り留めるという事があった。
『家族ならば、家族の事に気を配るのは当たり前』
コムイの助手となり、正式なエクソシストになってからも、リナリーはそう思っている。我が家が彼女の小宇宙だ。外はアクマという怖いお化けで一杯で、ここだけが安心して眠れる場所。みんなとても優しくて、信じられる人達。彼女を苦しめたイヤな思い出も看守達もみんな兄さんが追い払ってくれた。だから、おうちを守る事が私の全て。
スーマンの件でそれはナイフのように胸を抉る事になるが、それは後の話だ。
ラビの癖に気づいたのも、その何気ない習慣からだった。
「へぇー。リナリーって人の事、よく見てるんさー」
ラビはそう言って笑った。ただ、その笑みの下でほんの微かに用心深い影が宿ったのをリナリーは見逃さなかった。人間は無視されたり、気づかれないのも落ち込むくせに、じっと観察されるのも喜ばない複雑な生き物である。ラビがそんな目をしたのもそのせいだろうとリナリーは好意的に解釈した。
身内を勘ぐるのは嫌だったし、ブックマンとエクソシストという職務を両立させている奇妙な二人組の事情を、未だリナリーは深く考えてみた事はない。『仲間』という絶対的な信頼は崩れてはならない壁だ。リナリーのやや病的な精神を支える礎の一つであり、それが想像力の限界になっていた。
「そうでもないのよ。ただちょっと不思議に思っただけ」
微笑むとラビは安心したようだった。差していた影が消える。
「大した事ないんさ。アレンて聞くとつい、さー」
「あら、ラビは『アレン君』が好きなんだと思ってたけど」
冗談めかして笑うと、ラビは小さく小鼻を掻く。人懐こいそんな仕草をリナリーは好きだ。ラビは
「そういうのと、ちょっと違うんさー」
と言って、白い歯を見せた。
「て、リナリーが話してくれましたけど」
アレンはベッドの上に寝転がっていた。ラビの影響なのか、彼の前でだけはアレンも多少行儀が悪くなってきていた。英国紳士のようなアレンもいいが、その姿は子犬のようでラビはとても気に入っている。
「あちゃちゃ」
ラビは肩をすくめて、本のページを捲った。
(女の子はお喋りさー)
と、思ったが、別に困った訳ではない。『観察されていたのに気づかなかった』事がまずいだけだ。ただ女性というのは勘が鋭いから、今後気を付けねばなるまい。爺に知られたら『たるんどる』と爪の一撃くらい食らうだろう。隙が出来る位 、アレンの事を好きな自分が悪いのだ。
でも『名前』の事ならいいだろう。話せない事は多いけれど、何もかも隠すのは却って疑念を招く。ブックマンでなく、あくまでもエクソシスト。アレンの前では、ただの『ラビ』。今はそういう存在でいたかった。
誰かの思い出に残りたい。記録でなく、記憶として残りたい。予言の具現者でなく、愛するアレンに。
ただの人間としての欲求がどうしようもなく、ラビの中にある。
「ラビは僕が好きなんだとばかり思ってました」
アレンはわざとらしく唇を尖らせてみせた。ラビもわざとらしく、その尖った唇の先にキッスする。
「好きさ、勿論。全部好き。それに『名前』もじゃ、変?」
「だって、つい気を取られるなんて、僕より名前の方がもっと好きみたいに聞こえるんですもん」
ラビは思わず笑い出した。
「それじゃ、長い髪の彼女が好きなんじゃなくて、その長い髪だけが好きって男みたいじゃん。まさかー。そりゃ、アレンの顔も好きだけど、俺、そこまで名前フェチじゃないさー」
「じゃ、何です?」
「んー、『アレン』はねー、俺にとって大事な名前だから」
「大事?」
「俺が名前コロコロ変えてくのは知ってるさ? この『ラビ』もその一つって事。ブックマンは本当の名前を捨てて、何者にも囚われず物事を観察する存在だから。
その俺にとって『アレン』は特別」
「どうして?」
「俺が最初につけた名前なんよ、『アレン』て。名前がなくなった俺が最初に選んだ名前」
「『アレン』を?」
アレンはさすがに驚いて、目を丸くした。ラビはニッコリ笑う。
「じゃ、ラビは『アレン』て呼ばれてたんですか? 何故、その名を?」
「いい名前だからさ、『アレン』て。『A』で始まるし。一番目の名前にふさわしいだろ?」
「…それだけ?」
「そうさ、なして?」
「だって」
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