「パティスリー」2


「何をブツブツ言ってるんですか、アレン=ウォーカー?」

 いつもの冷静な声に背中を叩かれて、アレンは我に帰った。リンクが小難しい顔で『特選スイーツ選』を片手に睨んでいる。アレンはニッコリ笑って「何でも」と言った。
『14番目』の影に付きまとわれている事に比べれば、人間からの監視など然程問題ではなかった。
 規約に接触すれば、アレンの自由やプライベートにも生真面目に制限をかけてこようとはするが、話せば多少でも譲歩してくれる。常に冷静で優しくはないが、悪意も敵意もない。言葉でカマをかけたり、アレンの行動の裏を取ろうともしない。ただ監視に徹している。
 アレンの体を突然乗っ取ってピアノを弾いたり、頭の中で歌い出したり、ガラスの奥から奇妙で虚ろなまなざしで終始見つめてきたりしない。
 ラビは「大変だろー、アレン」と同情してくれたが、ホントに人の方がマシだと思う。
『14番目』はアレンにとって、誰よりも戦わねばならぬ敵でしかない。

 だが、リンクとはちゃんと会話が成立するし、いざとなれば守ってくれる。見たところ文系のお坊ちゃんタイプなのだけど、ヴァチカンの特殊部隊『鴉』の一員だけあって、相当強い。イノセンス抜きで戦えば、体術でリンクには歯が立たないだろう。

 リンクはアレンを監視している。でも、彼が個人的にアレンをノアとして疑ってるのか、正直解らない。そうなら、アレンを戦力として教団に『飼い続ける』より、疑惑を解明にして教団を一刻も早く統率した方がいいだろうに、リンクはそうしない。白黒曖昧なまま、淡々とアレンと接し続けている。
 アレンが『14番目』として覚醒し、ノアとして人を手に掛けるような事になれば、神田と同じく、リンクもアレンを殺すのに躊躇ったりはしないのだろうが、それでも、リンクは少しもそれを早めるような行動を取らない。
 ルベリエの言動やコムイさん達のヴァチカンへの反目を慮れば、リンクはルベリエからそういう内命を受けているだろうに、事態が少しも動かない事が、アレンは意外だった。

(どういう事なんだろう?)

 多少、覚悟していたのに拍子抜けである。監視が解けないので、それほど状況は甘くはないに決まっているが、それでも、アレンはリンクがその一歩を踏み出そうともしない事を不思議に思っている。

「何でも、ではない顔をしてますがね」
 リンクは本に目を落としながら呟いた。

「イノセンスは無事手に入れたというのに、嬉しそうではありませんが」
「そうですか? きっと疲れてるんでしょ? このところ、任務が連続でしたから」
 アレンは言葉尻を捕らえられたくなくて、当たり障りのない返答をした。
「我々には時間がないですからね。一刻も早く新たなエクソシストを見つけ出し、最後の戦いに備えなくてはなりません。疲れたなんて言ってる暇はありませんよ、アレン=ウォーカー」
「はいはい」

 アレンは肩をすくめた。解りきった事を言われると、つい受け流してしまいたくなる。リンクのこの口調はルベリエそっくりなのだけれど、人間は次第に自分の言動に見合った顔立ちになるものだ。優しい言葉は穏やかな顔に、険しい言葉は厳しい顔に彩 られる。

「余り、そういう言い方ばっかりしてると、眉間にしわが寄って眉が吊り上がっちゃいますよ、リンク」

 気持ちが荒れていたので、ついそんな言葉が口をついた。リンクが瞬きをして、見返したのを見て、少し悪かったな、と思う。

「あなたはルベリエ長官を嫌いなのですか?」
 幼少のリナリーがトラウマになった原因の一つである彼に対して、この教団の大半の人間はそうだろうと思ったが、アレンは敢えて個人的な部分からのみ答えた。
「疑われていい気分ではありません。師匠の事も」
「そうですか」
 反論するかと思ったが、リンクは何も言わなかった。

(まただ)

 アレンは気が削がれて、自室の扉を開いた。久しぶりの部屋は少し埃っぽい。自分の部屋の管理は個人に任されているから仕方ないだろう。
 それでも、自分の居場所だ。見慣れた家具に、見慣れた壁紙の模様。教団に戻ってきて、初めて心からホッとする。気が効いた誰かが暖炉に火を入れておいてくれたらしい。ぬ くもりが二人を包む。
 旅の埃を落とす前に、アレンはドサッとベッドに寝そべった。とりあえず、何より自分のベッドの感触を味わいたい。任務の間は気が休まらないし、私室でもリンクの監視下にあるとなれば、ベッドの中くらいしかプライベートの時間がない。毛布に包まってくつろぎたい。アレンは何度そう思ったろう。

「アレン=ウォーカー。ベッドに寝る時は靴くらい脱ぎなさい。汚れますよ。コートもシワになるから脱いで。それとシャワーを浴びてきたらどうですか? 汽車の煤がまだ完全に取れてないでしょう?」
「…むーー」
 リンクに聞こえてきたのは、枕からのくぐもった声だけだった。
「仕方ない人ですね。ホラ、足上げて」

 リンクはブツブツぼやきながら、ブーツを脱がせて、コートをハンガーにかけてくれる。タオルをお湯で濡らし、髪や頬の煤を落としてくれる。その指の仕草が心地よくて、アレンは目を細めた。
 リンクが几帳面という事に甘えて、任務直後は何となくこんな関係がいつの間にか成立してしまった。他の時だと、文句ばかりで何もしてくれないが、仕事帰りなので、リンクなりの「お疲れ様」であるらしい。

「少しお茶の時間には遅いですが、お茶を入れましたよ、ウォーカー」
「ふぃ〜」

 お茶と聞いて、アレンは反応した。後で無論、食堂に攻め込むつもりだが、リンクのケーキとあっては食べずにおれない。ケーキは数種類あって、どれも宝石のように美しい。ラズベリーのムースやショコラの輝き具合など、そこらのパティシエより手が込んでいて、長時間アレンの監視をしているくせに一体いつこれだけのものを作るのかと思う。

「いただきまーす」

 英国人に生まれた幸せを思いながら、アレンは一口フルーツがドッサリ載ったタルトを口に入れた。素晴らしい芳香と甘さと酸っぱさが絶妙で舌を驚かせる。ふわ〜んと顔がとろけた。二口でタルトを征服すると、次に木苺のパイ、その次にチーズケーキに取り掛かる。
 リンクは彼の向かいに座って、上品に紅茶を飲んでいた。空腹が少し落ち着くと、さっきの会話が気にかかる。

「リンクは長官の事、尊敬しています?」
「勿論です」
 何の衒いもなかった。リンクがスイーツに打ち込む事からも常の言動も何もかも、その通 りなのだろうと告げている。
「君がそうでなくて、残念です」
 初めてリンクが自分の意見を述べた。アレンは眉を上げる。

「僕はそんなに長官の事は知りませんけど、ずっと以前にはここにいたって聞きました」
「ええ。コムイ室長以前の頃、しばらく教団に乱れがあったそうで、監査部が常在していた時があります。それが何か?」
「詳しくは僕も知らないですけど、随分厳しい事があったと聞きました。リナリーの事とか…。
 ヴァチカンと僕らは共闘すべきですよね? なのに、どうして反目してしまうのか。
 僕は『14番目』の宿主です。その事で皆ギクシャクしてる。長官が発表した事は仕方ない事だと思ってます。でも、どうしてあんな感じでしか…」
「気に食わない。謝って欲しい、ですか? 君でなく、例えば、リナリーに?」
 リンクは真っ直ぐアレンを見た。その視線に内心驚きつつ、アレンも視線を返し、頷く。

「謝る必要は、私はないと思います」
「どうして? コムイさんだって、リナリーだって、許せない事はあるかも知れないけど、でも、皆の感情は…」
「あれは必要な処置でした。そうしなければならなかった。感情論にすぐ走るのは、この教団の悪い癖です。長官は義務を果 たされた」
「義務ですか? 僕には解りません。説明して下さい」

 アレンは首を振った。コムイさんが長官として地位につくまで、教団は何度も逃げようとするリナリーを半ば監禁し、籠の鳥扱いにし、挙句の果 てにベッドに拘束して、精神崩壊寸前にまで追い込んだ。アレンはその詳しくは知らない。リーバーが内密だと前置きして、ほんの触りだけ仄めかしてくれた。無論、これは当時の一部に過ぎない。でも、それだけで不信感が内部に蟠る理由が解る気がする。
 伯爵と戦わねばならぬのに、何故そう出来ないのか。修復できないのか。アレンは心に重いものを感じる。伯爵はそういう人間の闇を何より好むからだ。


「説明の必要はありません。
 誤解しているようですが、ウォーカー。我々はあなた方に愛されたり、好意を持たれたいと思って、ここにいるのではありません。仲良しこよしの気分で伯爵とは戦えませんよ。
 コムイ室長は立派な統率者ですが、やはり科学者ですから、そこが解っておられない。ここは戦場の最前線基地であって、家などではありません。リナリー嬢の為に必要な処置だった事は認めますが」
 アレンは眉を吊り上げた。
「コムイさんを非難するんですか、リンク! だったら、許せません!」

 が、リンクはアレンの怒りに反応しなかった。紅茶をゆっくりと飲み干し、また継いでから、ようやく続けた。
「我々と考え方が違う、と言っています。軍属と文官の違いって奴でしょうか?
 ルベリエ長官はコムイ室長を過小評価などしておられませんよ? レベル4出現時の時の室長の統率力はは見事なものでした。ゾンビ事件の時、コムイ室長の降格の声が上がったのを打ち消されたのは、長官です。
 あの事件はこの教団を甘やかしたせいで起こった、最悪の結果でしたね。でも、それでも室長の首が繋がったのはそういう訳です。ヴァチカンからテコ入れされた理由を、あなた方は少しも考えないんですか?」

 アレンは少し赤くなった。反省しろ、と暗に言われても確かに仕方がない。
「でも、だったら、どうしてそれをちゃんと伝えないんです? 一方的なのは嫌われますけど」
「だから、言ったでしょう? 我々は仕事でやっているのであって、好かれる為ではないと。馴れ合って、庇い合って居心地がいいから、それを守る為に戦うという理由は我々にはないんです」

 リンクは肩をすくめた。アレンが何故、それを言って欲しがるのか解らなかった。コムイに恥をかかせるだけではないか。コムイはルベリエに借りを作ったのを喜ぶまい。
 幼いリナリーを肉親から引き離して、教団に閉じこめるのを非難する声は当時、確かにあった。彼女に同情する人々もいた。彼らがリナリーの逃亡を助けようとしたのだ。

 リナリーがただの少女ならいい。

 だが、彼女はエクソシストなのだ。しかも黒い靴を履いたまま、飛んで逃げようとした。高い塔から少女が逃げるにはそれしかなかった。だから、全力で鴉達が止めた。
 そうしなければならなかった。幼女だろうと、神の力を駆使する以上、半端な妨害で止められるものではない。多少、怪我をさせてでも捕まえなくてはならなかった。
 同情や優しさだけが、人を守るのではない。力づくでも、嫌われても、泣かれても心を曲げてはいけない。

 何故なら、戦いから逃げたエクソシストには、咎落ちが待っている。一度始まってしまえば、誰にも止められない。神は同情はしない。情けもかけない。気持ちも翻さない。幼い少女に過酷な試練を与える神にそんなものがあるだろうか。
 一度、見捨てられたエクソシストに戻る道はない。そして、その咎落ちは巨大な災厄となって、教団全てを踏み潰す。彼女に同情した者達すら噛み砕いてしまう。周囲の街や村ですら消してしまうかもしれない。
 だから、彼女がどんなに嫌がってでも、拘束せねばならなかった。

 黒い籠の中へ。


 それをコムイ達から非難されても、言い訳する気も謝罪の気持ちもない。例え、他の人々を救う為であっても、幼い少女を傷つけた事に変わりない。説明して、解って欲しいなどと言うのはおこがましいだろう。だったら、仕事と割り切る方がいい。それが軍人というものだ。
 エクソシストになった者は自分の運命に殉じるしかない。それに関わる者達も。

「でも、コムイ室長は一つ正しい事をなさった。あなた方が戻る場所を作った。昔の教団は冷え冷えとして、戻りたくない所だったそうです。基地であろうと、家であろうと、戻るべき場所があるのはいい事です」

 リンクはアレンの前のからっぽになった皿を見て笑うと、もう一切れケーキを切って置いた。
「ルベリエ長官に出会うまでは、私もヴァチカンにいるのが嫌いでした。任務から戻るのも嫌いでした。任務を任務として割り切るには、私は幼すぎた。訓練も辛かった。他の仲間達も皆内心は同じ気持ちだった。どんな事を表面 では口にしようと。

 長官はそんな我々にケーキを振舞って下さった。最初は訳が解りませんでした。戦場でケーキなんて!と。

 でも、ケーキはおいしかった。食べている内に我々は何となく心が和らいでいるのを感じました。ささくれ立った心に甘くて、綺麗なものは優しかった。お茶の時間は温かかった。自分達みたいな者ですら、普通 の子供のような気分になりました。
 長官はいつも新作のケーキを出して下さった。我々の為に一生懸命おいしいものを作って、我々が幸せな気持ちで食べるのをニコニコして見ておられた。


 長官は我々に過酷な命令を出す立場の方だった。理不尽な命令も戻って来れない命令も出さなくてはならない方だった。そして、我々をその運命から救い出す術は何もない事も知っておられた。我々自身が生きて戻る以外、その任務に誇りを持って生きる以外、自分自身が自分を救う以外何も出来ない事を、充分に知っておられた。

 だから、私はあの方に普通の子供の気分を味じ合わせて戴いた、あの時間を至福に思っています。
 私のケーキなど、長官の腕にはまだまだ及びませんが、いつかあの味を再現したいと思っています。そして、もし持てれば、私の部下達にも同じ経験をさせてやりたい」


 アレンはリンクのケーキを一口食べた。今度はゆっくりと味わって食べた。それは素朴な味でなく、豪華で、美しくて、繊細な芸術品だったが、何故か優しい味がした。幸せな気持ちになった。
 戻るべき場所に戻って、温かい部屋で紅茶とおいしいケーキを食べる。リンクといる限り、約束された幸せ。
 窓の外では北風が唸りを上げている。明日は雪が舞うだろう。

「おいし…」

 アレンは呟いた。



エンド

春コミコピー本より。再販する気がないので収録しました。
第170夜感想をまんま反映してますね(笑)
その頃触りだけ書いて放っておいたのを、春コミ用にまとめただけなので、文章がもの凄くひどい事になってるな。
やはり、感想だけでなく、文章もこまめに書かなくちゃと反省。

リンクは自分の事をベラベラ喋るとは思えませんが、物の弾みって事で。
リンク、かわいいよ、リンク。

後、クロスの生死不明ですが、世話役さんは部屋内部を見たのみで、身体に触れた訳でもなく、致命傷があったのを
確認した訳でもありません。 脈があるかすら確認していない。
多量の血痕なんて、保存用血液パックさえありゃーどーにでもなる。
クロスの砕けた仮面で死体を偽装させたか、ホログラフィーって手もあるよね、魔導師なんだし。
さっさと復活してくれ、師匠。

リンアレはかわいいので、また書きたいです。

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