「花束作って」

 

「母さん……何処に埋めた…んだ?」

 

 機械鎧の手術の日取りが決まった日、俺はアルに尋ねた。
 大佐との邂逅の翌日。
 もっと早く持ち出すべき言葉だったんだろうが、俺はそれまで心底ブルってた。罪と正面 から向かい合うのは勇気がいる。墓を見るのは、罪を掘り返す事だ。腐臭の匂いを嗅ぐ事だ。だが、避けては通 れない。俺達が明日へ足を踏み出す為には。
 それに母の埋葬をアルにだけさせてしまった事を、俺は辛いと思いつつ、ありがたいとも思い、ホッとした自分に心底嫌悪を覚えていた。
 確かに早急に終わらせるべき埋葬だったし、俺が同行できない身体だったにせよ、一番一緒にやらねばならない事だった。アルだけにスコップを使わせるべきじゃなかった。石を置かせるべきじゃなかった。俺が左手だけでも、右足だけでも、土をかぶせるべきだったのに。
 アルがどんな想いで母の墓を、しかも公にする事もならない罪の刻印を刻んだか。ピナコばっちゃんとどんな気持ちであの夜を越えていったのか。俺はそれが切なくてならない。
 アルは、変わらなかった。
 いや、変わってしまったと言うべきか。
 悲しみや罪の重さに打ちのめされて、腑抜けになってしまった俺に、アルは努めて明るく接した。鎧の身体も俺の怪我も大した問題ではないというように。
 その明るさすら悲しくて、辛くて、疎ましくて、枕を投げつけて、鎧の身体を拳で殴った。何度も殴った。ごいんごいんと鎧の空洞で音が鳴り続けるのが悲しかった。アルも怒ればいいのに、俺を殴ればいいのにと、また殴った。昔は簡単にケンカしたのに、何で今、責めて欲しい今、何も言わないんだ。何で黙ってんだ、俺を馬鹿にしてるのかと怒鳴った。
 勢いをつけすぎてベッドから転がり落ちた。手が無性に痛かった。天井が前より遠くなった。アルの真っ暗な目の穴が俺を見下ろしてるのが怖かった。
 左手と右足だけの俺は、もう一人じゃまともにベッドに戻ることも出来ない。アルは数歩動くだけで、俺の視界から消える事が出来るんだ。このまま部屋を出ていったらどうしよう。見捨てられたらどうしよう。
 あんなに責められたかったのに、憎まれたかったのに、俺はたったその事に幼児みたいに震え上がった。
「アル!……アルッ!アルッ!」
 俺は夢中で弟に助けを求めた。なりふり構わず手を伸ばした。惨めだった。俺はバカみたいに惨めだった。
「兄さん」
 アルはすぐ跪いた。俺をすくい上げるように抱き起こす。その感じに、浮くような軽やかさに俺は身体を震わせた。左腕と右足を巻き付けて必死にアルに取りすがる。全身でアルを感じようとする。
 アルは優しい。俺なんかよりずっと強い。まるでかなわない。こんな時のアルに俺は全く及ばない。
(そのアルを、俺は……)
 血で滲んだ拳が、鎧の角でもっと深く切った拳が、その脈打ってる痛みに、もっと深い心の痛みに俺は負けた。自分への情けなさと冷えるような憎悪に、何よりそんな事を弟にやってしまった自分に驚愕して、動転して、どうしようもなくて初めてわーわー泣いた。
 錬成に失敗して、初めて泣いた。ごめんと言って泣いた。アル、ごめん。何もかもごめんと言って泣いた。俺を殺してもいいから、ごめん。許してくれなくてもいいからって、泣いた。
 その俺をアルは黙って抱きしめてくれた。
 何にも言わなかった。俯いて、俺が痛くないように、傷に響かないように、用心深く、でも、しっかりと抱きしめてくれた。
 アルは暖かかった。冷たい鎧かも知れないけど、アルは暖かかった。俺はそう感じた。母さんの腕より暖かいとそう思った。
 そして、俺をゆっくり撫でてくれた。髪や頭や背中をゆっくりゆっくり撫でてくれた。撫でながら唄った。小さな声で、あの俺の心を幾度も揺すぶる事になる不思議な澄んだ魂の唄を、まるで妖精の燐粉みたいな優しい慰めを唄った。母さんの子守歌。二人で唄った古い唄。ラジオで流れていたノイズだらけの唄。懐かしい唄。好きだった唄。そんな小さな唄を次から次に唄い続けた。  俺の泣き声が、身体の震えが収まるまで。
 俺が黙って、アルに身体をあずけるまで。
 その唄は最後までちっとも、かすれも震えもしなかった。
 その時、俺は悟ったんだ。
 もうアルは泣けないんだって。もらい泣きばかりしていた小さいアルはもういなくなってしまったんだって。
 俺が、たった今慰めてもらったこの俺が、弟をそうしてしまったんだって。
 俺が傷の痛みと高熱に魘されている間、弟はずっと俺に付き添っていた。眠らないまなざしをずっと俺に向けていた。
 俺は怖い。俺は言ってしまったのかも知れない。悪夢や激痛に魘されて、相手を見捨てたくなるような譫言を、きっと聞かせたくない、誰よりもアルだけには聞かせたくない最低な譫言を、口走ってしまったかも知れない。
 なのに、アルは俺から離れなかった。
 首を絞めたって、輸血管を引き抜いたって、俺は構わなかったのに、それでも、アルは俺の汗を拭いてくれた。額の冷たい絞ったタオルを頻繁に替えてくれた。氷枕を作ってくれた。手を握ってくれた。もう何にも感じないのに、俺の刻々と変わる容態を必死で知ろうとしてくれた。
 そして、夜を、昼を越えた。
 何処にも行かずにアルは俺と越えた。
 その時、アルは心に作ってしまったんだろう。絶対変わらないもの。揺るがないもの。輝きを放ち続け、決して傷つかないもの。澄み切った結晶のような、冷たい氷のような、醒めない炎のようなものを。
 自分を支える為に。
 俺を支える為に。
 無邪気な子供時代をどこかに置き去りにする事にしてしまった。
 だから、俺はそれ以来、アルの前で泣くのはやめた。泣けないアルを悲しませないように。もらい泣きできない悲しみを感じさせない為に。
 だけど、どうしていいか解らなかった。歩くべき道を見失った。目の前には断崖があるだけだった。死に損なって立ちすくむ未来だけが。
 俺はどうなってもいい。義手も義足も自業自得の証だ。
 だが、アルは、弟だけは何とかしなければ。
 一生泣く事のないアル。眠らないアル。夢を見ないアル。
 それは駄目だ。アルは眠らないといけない。悪夢を見ようと、人間は眠って夜を越えないといけない。
 あの錬成の夜からアルは一度も眠っていない。ただの一度も。一瞬も。アルの夜は未だに明けていないのだ。
 終わらせないといけない。夜の住人である事から解放しなくては。
 だけど、どうしたらいいのだろう。どんな方法があるだろう。
 元に戻る。
 これ以上、交換するものがなくなった俺にどんな手だてがあるというのか。
 俺は絶望していた。光が見えなかった。
 あの男がいきなり立ちふさがり、俺の胸倉を掴むまでは。

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