と、アルは思ったが、身体が動かない。さほど、逡巡する間もなくウィンリィが顔を向ける。
「飲み物はっと…あ、そーだ。隣からトマトジュースをもらったんだ。よかった、エドで。一杯飲むでしょ?コップ大きいの取ってくるね」
 アルは総毛立った。トマトは好きだが、トマトジュースは別だ。あの塩味がどうしても苦手で絶対飲めない。牛乳に比べ、殆ど飲む機会もなければ、健康にいいからと強制もされないので、差程困る事なく過ごしてきた。
 しかし、この状況下では飲まざる得ない。エドはトマトジュースが大好きで、いつもアルの分も飲んでいたからだ。
(ほ、本気で逃げ出さなきゃ)
 ウィンリィが台所に消えたのを機にアルは立ち上がろうとした。とりあえず目的は達したのだからエドに文句は言わせない。が、デンはもっと構ってほしいのかアルのTシャツを銜えて放さない。
「デ、デン。ごめん。頼むよ。後で一杯遊んであげるから」
 ボソボソ、アルは小声で頼んだが、犬は銜えているものを引っ張ると余計に強く引っ張り返すものだ。デンもむきになってアルの頼みを聞いてくれない。
「もう、デンってば」
「あら、デン、駄目よ。ふざけたら。雨、降ってきそうなのに外、出しちゃうわよ」
(え、雨?)
 アルは慌てて外を見た。俯き加減で歩いてきたので余り気づかなかったが、ウィンリィの言う通 り空模様があやしい。低い雲が黒々と天を覆っている。
(う、うわ、兄さん!?)
 思わずまた立ち上がろうとするアルの前に、ウィンリィはドンとクッキーとジュースの載ったトレーを置いた。クッキーはナッツが入っておいしそうだったが、ジュースは悪魔が用意した血のように見える。アルは天気も忘れて凍り付いた。
「一杯飲んでね。私もそれ、あんまり好きじゃないんだ。お代わりもいいよ」
(おかわりなんて死んでもいらない)
 今こそ牛乳を前にしたエドの気持ちが解った気がした。真っ赤なコップと睨み合う。冷や汗がだらだら流れた。だが、それでコップがテーブルの土俵から去る訳ではない。ウィンリィはニコニコ顔だし、飲まないと怪しまれるだろう。言い訳したいが、口を開けば一遍でバレる。
(でも、何で僕はここまでしなくちゃいけないんだろう。もう充分じゃないか)
 アルは顔を上げた。限界だ。もう喋ってしまおう。後は兄さんが話せばいい。
 その時、クッキーを欲しいと思ったのか、デンがアルの太ももに足をかけて立ち上がった。行儀の悪い犬ではないのだが、いつもアルが食べ物を分けてやるので甘えたのだろう。フンフンとテーブルの匂いを嗅ぐ。それに驚いたアルの肘がコップに当たった。コップは揺らいで、テーブルにひっくり返る。
「あーっ!もうデン!駄目じゃない!やっぱり外に…………あーっ!!洗濯物!!」
「えっ!?」
 ウィンリィはダッシュで外へ飛び出した。
  雨だ。倒れたコップを見つつ、助かったと胸を撫で下ろした。
(仕方ないよね)
 家の脇に隠れる場所も雨を凌ぐ場所もない。裁定はすぐに下るだろう。ほどなく
「あーーーーーー!!」
 と、ウィンリィとエドワードの叫び声がハモって聞こえてきた。
 アルは大きく溜息をつき、デンを見やる。デンは差程悪びれておらず、お座りしてアルを見上げている。たんたんとしっぽが床を叩いた。どうもそのしたり顔は解ってやったようだ。デンはいつもアルの味方だし、アルがトマトジュース嫌いなのを知っている。
「サンキュー、デン」
 アルは苦笑しながら、一番大きなクッキーをデンに投げる。犬は器用にそれを口で受け止めた。

 

 

「全くあんた達ってバカじゃないの?バカ」
 ウィンリィはケラケラ笑って、テーブルに頬杖をついた。
「そんなにバカバカ言うなよ」
 エドは頭を乱暴にタオルでガシガシ拭きながら、ふくれっ面した。むくれながらも、クッキーやジュースは遠慮なく腹に詰め込んでいる。この幼なじみの少女とは、昔から言いたい事を言う仲だ。バカ扱いされても腹も立たない。
「でも、そんなに思ってなかったけど、こうして見るとあんた達本当に兄弟なのねぇ。目を吊っただけで、こうも似るなんて思わなかったわ。びっくり」
 ウィンリィはアルの真似をして、両目を指で吊ってみせた。もう一度弾けるように笑う。アルは真っ赤になって俯き、ひたすらクッキーを囓っている。エドは身を乗り出した。
「うっせぇな。アルをからかうなよ、もう。でも、イケてるだろ?なぁ、ウィンリィ。明日、協力してくれよ」
「えーっ、どうしよっかなぁ?」
 ウィンリィは気のないように空を仰いだ。
「頼むよ、たまにはいいだろー?」
「そうねぇ…じゃあさ、何かくれる?あたし、新しいスパナが欲しいんだ」
「金はねぇよ」
「でしょーねぇ。でも、タダじゃイヤだもん」
「この業突張り」
「じゃ、いいもん。やってやんない」
 そっぽを向かれて、エドは口をへの字に曲げた。仕方なく手を合わせてウィンリィを拝む。
「わーった。ごめん、ウィンリィ様。この通り」
 ウィンリィはクスッと笑って、エドを見返した。
「んー、じゃね、何か面白い事してみせて」
「面白い事?何だ、それ」
「だって、エドが二人いるなんて滅多に見れないもん。二人でさ、踊ってよ」
「えー!?」
 兄弟は思わずハモった。困ったように顔を見合わせる。
「僕ら、踊れないよ、ウィンリィ。せいぜいフォークダンス位しか知らないし」
「そうだぜ、勘弁しろよ〜」
「もう、芸なしなんだから!何だっていいのよ。あ、そうそう。鏡みたいに左右対称に動いてみて?……やんないと、協力しないわよ」
「うへーっ!」
 二人は溜息をついた。ウィンリィは言い出したら聞かない。これ以上ごねると、協力どころかクッキーを返せとか有らぬ 方に拗れかねない。仕方なく簡単に打ち合わせをしてから、右手、左手、足、同じ角度で曲げてみせる。
「わーっ、凄い!やっだぁ、面白ーい!あんた達、バカみたい!」
 ウィンリィはお腹を抱え、涙を流して笑った。
「バ、バカってな、ウィンリィ!」
「ご、ごめーん。だって、本当に凄い面白いんだもん。
 今度は何か劇やってみせて?えっと、あ、この間 映画で見たロミオとジュリエットのバルコニーのシーンとか、死んじゃう所とか……美女と野獣とか白雪姫でもいいわ。キスもちゃんとやってよね」
「あのな〜」
「そ、そんなの……っ」
「できなかったら協力しないわよ」
 アルは恨めしそうにエドを見たが、兄はげっそりしながら、とにかく最後までやれと目ばくせする。仕方なく、二人はうろ覚えに愛の告白だの、非常にやる気のない心中シーンなどやりまくった。そのいい加減さと二人のエドによる妙な色っぽさが余計ツボにはまったらしく、ウィンリィは転げ回って笑った。嫌がる二人に次々とリクエストする。
「まぁまぁ、あんた達、何騒いでんだい。外まで聞こえてるよ。……おや、エドが二人?」
 気がつくと、ピナコが呆気に取られて彼らの後ろに立っていた。ちょうどドラマのクライマックスで抱き合っていたエド達は慌てて離れる。赤くなりながらも、少しホッとした。とにかくこれで解放される。だが、大はしゃぎの孫娘は祖母の手を嬉しそうに引っ張った。
「あっ、ばっちゃん!いい所に!見て!すっごいの!ね、ね、エド!アル!もっかいやって!ばっちゃんに見せてやってよー!」
「ウィ、ウィンリィ……ボク、もう……」
「そうだぜ、もう何回…」
「何よー、ここまできたらやりなさいよー」
 ウィンリィには泣き言も通じない。二人はガックリと肩を落とす。
 新たに二人エドで『眠れる森の美女』が始まった。


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