「気づかないと気づけない恋だから」

 

 日本人が外国に旅行する場合、どうしても馴染めない事が二つある。
 一つは食事。
 もう一つが風呂だ。
 食事に関しては、元々偏食家だし、パンが主食の連中にどう要求しても改善される訳がないので「食べるのも任務」と思って出張中は我慢している。そういう意味で本格的な手打ち蕎麦と天ぷらが味わえる教団の食堂がありがたい。
 問題は風呂だ。
 任務で汗と疲労でボロボロになった身体はすぐにも癒したい。傷がすぐ治る特異体質でも疲労感は別 物である。のんびり風呂に浸かって、一日の諸々を洗い落とし、あったかい布団にくるまって、スカッと爽やかな朝を迎える。それが日本の伝統だ。
 しかし、外人はシャワーを浴びる。
 体臭がキツイせいか、一日に五回も六回もシャワーを浴びる。
 その為か知らないが、ホテルにシャワールームしかない所はザラなのだ。
 日本人はバスタブに浸からないと、風呂に入った気がしない。疲れが取れた気がしない。人間嫌いだから、マッサージなど論外だ。
 だが、任務は長期でハードと決まっている。だから、任務達成にかけても、風呂のあるなしは結構死活問題なのだ。
 コムイ室長の胸倉を掴み、ヴァチカンの特権を悪用して、常に2つ星クラス以上のホテルを確保してもらうのだが、必ず当たりとは限らない。香港の超有名ホテルがシャワールームしかない時は心底驚いた。諸事情で一日だけどうしても我慢してくれと説得されたものの、亜熱帯地方なのに黒コート着用で戦い、汗みずくになってホテルに戻った時はマジでヤバイと思った。くるぶしまでしか高さのない水場にお湯を溜め、そこに寝そべって、非常にムナしい思いをしたのも一度や二度ではない。
「あ〜、神田君。最近、枝毛ひどいね。切ってあげようか?」
 ストレスは肌や髪の荒れにも繋がる。リナリーに指摘されるとは限界が近いのだろう。談話室でほのぼの午後の紅茶を味わっていたアレン達は一斉に好奇の目を向ける。
「あー、ホントだ。こりゃ、ひでぇな」
「ええっ、僕にも見せて下さい!」
「神田の大事なビューティポイントなんだから、手入れは怠らないでね。いい馬油入りのシャンプーあげようか?リナリー用に僕が調合した奴」
 ラビやアレン、コムイにまで群がられて、神田の短い忍耐の糸はすぐ切れる。六幻を振り回されて、追い散らされながらコムイは笑った。
「あ〜、ちょうどいいや。珍しくみんな、任務明けが重なって教団に集まってるしね。少人数だけで慰安旅行なんてどうかな?」
「えー」
「疲れてるんさ、コムイ〜」
「やだ、せっかく帰ってきたのに、兄さん」
 毎日が『旅行』の人生を歩んでいるエクソシスト達は、不満げにコムイを見た。
「まぁまぁ。山奥の渓谷沿いに僕の知ってるいい宿があるんだ。出張がてら僕が泊まるから、みんなも一緒にどうかなって」
「山奥ぅ? 何も遊ぶとこないんだろ。つまんねぇよ」
「まぁそうだけど、何もしないでのんびりってのも、たまにはいいんじゃないかな。それにそこは素敵な温泉があるんだ。露天風呂とか打たせ湯とか。食事もおいしくてね」
「行く」
 思わぬ声に全員がその主を見た。
「ユウ、お前さぁ、若いのに温泉なんか爺臭…」
 六幻でラビを張り倒し、神田はコムイを見た。
「温泉なら行ってもいい。いつもの団体旅行でないんなら」
「勿論だよ、神田君。君が自分から参加するなんて珍しいね。じゃ、さっそく予約入れとくから」
「あ、コムイ、俺も行く行く」
「あ、僕も参加します。ところで露天風呂って何ですか?」
「何〜だ、アレン君。知らないの?男の夢とロマン露天風呂」
「お前、本当にそーゆーとこウブだなぁ。まぁ、人生の先輩が手取り足取り教えてやるよ〜」
「え、え? 何ですか、ラビも室長も二人して?」
(ケッ)
 少し前途に不安を感じながら、神田は凝った肩をさりげに揉みほぐした。
 視線を感じて見上げるとリナリーが笑っている。
「何だよ?」
「ううん。ちょっと嬉しいの」
「何が?」
「神田っていっつも本当に独りでしょ? だから、自分から参加しますって言ってくれて嬉しいの」
「別に、ただ温泉だったから」
「限界きちゃってるもんね、ホント」
 リナリーは神田の髪をサラリと一房手に取った。
「でも、神田は前はそんな事言わなかったよね。限界が来て倒れるまで何も言わなかったもん。大事な事は何にも」
「そっか?」
 神田は物憂げに髪を掻き上げる。
「そう。言わない分、溜め込んでる分、身体に如実に出るんだ、神田は。髪に枝毛、目の下に隈。目つき悪くなるし。見てれば解るよ、全部。でも今は…」
 リナリーはアレンを見つめた。神田が変わったのは…。リナリーの黒い瞳に少し深い藍色が加わった。
「変わったよね、ちょっと」
「まさか」
「ううん。変わるのはいい事」
 リナリーははしゃぎすぎの男共を躾ける為、ソファの背もたれから離れる。その彼女の体重が減ったのを微かに淋しく感じながら、神田はアレンを見つめた。
(そんな訳ねぇよ。俺が変わるなんて)
 頑なな自分が、凍てついている心が変わる訳がない。たった一人の人間の出現で人生が動く筈がない。人間はそう簡単に変われないし、影響されてもすぐ別 のものに上書きされる。まして、神田のような人間は殆ど他人に左右されない。
 だがもし、その氷が溶けるなら、それは恋だ。
『あなたが好きです』
(そんな訳がない)
『俺は好きじゃない』
 モヤシの視線と言葉が煩わしくて、重くて、振りほどけなくて、勝手にしろと突き放した。側に来るのも許さなかった。
 だけど、あいつが他人といるのは面白くない。俺が好きなら俺以外の人間を見て欲しくない。誰の事も考えてほしくない。
 自分でも呆れる程身勝手でわがままな考えに囚われて、身動きが出来なくて、苦しくて。
 結局、俺は自分からモヤシを抱き締めてしまった。
 それで何か解決できるんじゃないかと思い込んで。
 勿論、そんな事はなかった。
 むしろ、始まりだった。
『ユウ、お前さぁ、ダメになると思ってない?』
 ラビの言葉が甦る。
『誰かを信用すると、好きになると、自分がダメになると思ってない?』
(好きじゃない、モヤシの事なんか)
 俺は誰も好きにならない。
 ひとふりの剣でいい。神の為の道具でありたい。
 それ以外、何の欲求も持っていない。
 神田は枝毛だらけの髪にチラリと目をやった。
 限界なのは。
(そんな筈ない)
 ただ疲れているだけだ。
 身体が。
 心じゃない。
 神田は無理矢理アレンから目を背けようとした。以前、アレンの視線から避けていたのは、むしろ自分の方だったのに。
 アレンが笑っている。ラビ達と一緒に。
(ダメになんかなる訳ない、俺は)
  
 いつもなら絶対つき合わない温泉旅行に神田が参加を決めたのは以上のような理由による。

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