日本。
 森では小鳥達が鳴き交わし、せせらぎが聞こえる。宿同志が離れているので、わずらわしい喧噪もない。
 神田は温泉宿から外を眺めた。宿は自然のままの美しさを尊重しているので、庭も周囲の山林をそのまま生かしてある。紅葉も美しいが、深い緑の中に時折深紅や黄色が混じるだけで決して派手ではない。しっとりと露に濡れた名残の菊や山草が小さな彩 りを添えていた。時折、パタッと木の実の落ちる音が聞こえる。
 神田にはやはりこの空気が肌に合った。燃え上がるような黄金に街中が沈んでいく欧州の秋とは全然違う。大声で主張はしないが、凛と背筋が伸びるように美しい、透明な空気に包まれた日本の秋。

「あー、これ、どーやって着るんですかぁ?ボタンないですよ?」
「うん、何かピラピラしてるねぇ。変なの。これ、ひもで縛るの?」
「おーい、神田!無視してないで手伝ってくれよ。俺達、着物着るの初めてなんだよ。紐じゃなくて、ベルトで巻いていいか?」


 後ろの大騒ぎさえ気にしなければ。
(じょ、情緒がない…)
 障子の桟を握った神田の手が小刻みに震えた。こめかみに血管が浮く。
 みんな忙しいから少人数でこじんまりという最初の企画は何処に行ったのだ。普段、残業と徹夜に明け暮れる職員達は噂を聞きつけるや、
『ずるーい! エクソシストばっかり! 俺達もたまには羽を伸ばしたーい!』
『死んでもやりくりして行くっス!』
 との掛け声勇ましく、気がつくとほぼ全員参加になった。どうしても来られなかったのは門番位 で、号泣する彼には温泉饅頭三十セットを土産として持ち帰る事になっている。
(教団のセキュリティーは大丈夫かいな…)
 全員が内心思っているが、居残りは御免なので、コムイ室長の
『大丈夫、大丈夫、一日や二日位。この僕を信じなさーい』
 という、一番当てにならない責任者の戯れ言に縋って考えないようにしている。参加名簿に大元帥やヘブラスカまでがいる事に比べれば、そんな事は最早些末な問題だ。
 もし、千年伯爵やノアの仲良し一家が大聖堂で宴会した後が発見されても、多分みんな黙って片づけるのだろう。
 普段、汽車で移動なのにどうやってこの大集団が日本に来れたかだが、勿論ここ一番は『神頼み』だった。いつも神の僕としてこき使われてるんだから、こんな役得でもないとやっていられない。教団の全員(大元帥、ヘブラスカを含む)がイノセンスを発動させればどんな『奇跡』も容易いのだ。
 本当はもっと建設的な事に大技を使えばいいのだろうが、手前勝手なエクソシスト達はこんな時にしか心を一つにしない。


 まぁ、それはいい。


 問題は


「何で、お前ら、みんな俺の部屋に集まってくんだよ!」


 ラビ、アレン、リーバー班長、その他大勢がキョトンとした顔で神田を見た。
 大部屋は嫌だ。個室でなければ死んでも行かないと名簿のぶ厚さを見てごねまくり、目的地が日本と聞いて更にごね
『予算オーバーなんだけどー』
 と嘆くコムイの泣き落としなど一切斟酌せず、結局
『ああ、もう神田君はわがままなんだから〜』
 と、離れを一室手に入れた。
 だが、
「どんな部屋か見に来たよ〜ん」
「遊びにきたぜー」
「わー、ここ露天風呂がついてる。広いし、いいなぁ」
「着物の着方、教えろ、神田ぁ」
「通訳してよー、神田。室長に至急の用があんだけど、出先に連絡つかねぇんだ!」
 と、ゾロゾロ集まってきて、溜まりに溜まり、誰一人帰ろうとしない。気がつくと、男共の大部屋と化していた。ここは日本だというのに、日本語で喋っている奴が一人もいないのも頭に来る。
「はぁ? だってよー、神田。着物って難しいんだもん。日本人なら教えろよ」
「お茶の入れ方が解らないなぁ。わ、お茶葉が緑なんだ。あれ?砂糖は?ミルクは?」
「え?靴履いたままじゃいけないの?」
「ちょんまげはー? 芸者さんはー? せっかく日本に来たのに、何処にいるか教えてよ、ユウ」
「うるさいんだよ、外人!」
 神田は怒鳴った。こめかみの血管が盛大に増える。だが、みんな神田の怒りには慣れていた。一斉にブーブーと非難が返る。
「わー、差別用語」
「俺達、日本は初めてなんだから、優しくしてよ」
「通訳してもらわんと、メイドさんとも話せないし」
「ねぇ、大浴場って本当にマッパで入るの? 英国には公衆の面前でそんな習慣ないよ〜。水着着ちゃダメなの?」
 一対一なら負けないが、集団の言葉攻撃は迷惑なだけである。仲居さんとか浴衣とか説明するのも面 倒だ。神田は『サルでも解る日本語』と『外人向け温泉入門ガイドブック』を投げつけ、連中を外に叩き出した。


「神田ぁ。日本茶って、紅茶と一緒の分量でいいんですか?」
「また枝毛、増えるぞぉ、ユウ」


 筈なのに、アレンとラビ、二人のエクソシストはしっかり残っている。これだから『神に選ばれた人間』というのは厄介なのだ。

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