「未来予想図」

(……え〜っと…)

 ミランダは逡巡していた。
 ノックをするかしないか。アレンがいて欲しいと思いつつ、いたら怖いし、どんな顔をすればいいか解らないし、出るのは溜息ばかりだ。
(ど、どうしよう)
 アレンは昨晩、任務から帰ったと聞いた。嬉しくて、ただ会いたくて、あの時のお礼が言いたくて、思わず部屋を飛び出した。
 だが、階段を駆け上がる途中で
『女性が深夜、男性の部屋を訪問するのはいかがなものか』
 という19世紀の常識(現代だってそうだが)に足をすくわれた。
 任務帰りでアレンは疲れているだろうし、深夜に押し掛けるのも迷惑だ。それに他人に見られたらアレンも困るだろう。
 そう思うと、あの境遇から救い出してくれたお礼など、せっぱ詰まった重大事ではない気がしてくるし、そんな事の為に一階から全力疾走してきた自分が凄くつまらない女のように思えて、ミランダは部屋に戻らざるを得なかった。
(長いスカートと髪なびかせて、馬みたいに走るなんて、レディじゃないわよね。軽蔑されるわよね)
 そう考えながら、ミランダは一晩中、惨めな夜を明かした。
 アレン達が自信をくれ、エクソシストとして目覚めたけれど、幼い頃から染みついている卑屈な負け犬根性はすぐに消えはしない。何か障害にぶつかるとすぐ
「私って駄目なんじゃないかしら」
「また失敗する」
「怒られる」
「嗤われる」
と、くよくよ考えてしまう。
 幸い、イノセンスとの共鳴は確実だったので、毎日の訓練で格段の進歩を遂げているとお墨付きをもらっていた。それがミランダの負に傾きがちな心を奮い立たせてくれる。
(私には『これ』がある)
 と、思う自信は大きい。
 だから、アレンに会いたかった。じかにお礼を言いたかった。傷だらけになりながらも守ってくれた感謝の言葉を伝えたかった。
 彼の笑顔と『ありがとう』という言葉がなかったら、あの時、最後までロード達に立ち向かっていけただろうか。
 何より自分の中の壁を突き崩せただろうか。

(アレン君が私の世界を変えてくれた)

 救い出してくれた。あの惨めな毎日から。情けない自分から。
 だから、会って、あの笑顔が見たい。
『よかったですね』
 と、言って欲しい。それから。

 それから…。

 ミランダは赤くなった。自分はどうしたいのだ。お礼を言った後、どんな話をする気なのだ。毎日の訓練の話? エクソシストになった感想?
 何でもいい。ただあの笑顔を見続けたい。そんな事を望んだら、またバチが当たるだろうか。
(でも、またアレン君が勇気をくれるかも知れないから)
 アレンといると自分がいい方に変われるような気がするのだ。
 ミランダはアレンの部屋を見つめた。大きく溜息をつく。朝一番にここに来て、何度目の溜息かもう覚えていない。  

ノック。

 たった一回のノックでいいのだ。それでいい。何かをするのは自分からと決めたではないか。何かをしなければ、何も始まらない。人は変われる。そう教えてもらったのだ、アレンに。
 でも。
(こ、怖い……)
 ミランダは手を上げたり、下げたり、行きつ戻りつを繰り返した。
(だ、駄目よ、私。勇気を出さなきゃ。単にお礼じゃないの。アレン君は気さくで優しいから難しい事なんか何もありゃしないわ。 『頑張ってるんですね、ミランダさん。よかった、心配してたんですよ』とかステキな笑顔で、ひょっとしたら
『僕、朝食まだなんですよ。よかったらご一緒しませんか?』とか言ってくれるかも知れない。
 それで『……へぇ、そうなんだ。もっと色々お話を聞かせて下さい。あ、お茶をいかがですか?』とか話が弾んじゃうかも知れない。英国人だからきっとお茶が好きよね、アレン君は…)
 その時、ミランダはハッと気づいた。

「ああっ、私、クッキー作ってもって来ればよかった!!!」

(何て気が利かない女なの、私って)
「何がクッキーなの、ミランダちゃん?」
 不思議そうな声にミランダは飛び上がった。リナリーが小首を傾げて、彼女を見つめている。
「あ………ああああああああ。リ、リナリーちゃんっ」
 思わず腰が抜けそうになるのを壁にしがみついて必死でこらえる。
「おはよう。さっきから何やってるの?くねくねクルクル、新しい体操?」
「え?えええ、そ、そう、そうなのっ。昨日、習ったから復習してるの。体にいいんだって」
「ふ〜ん、珍しい体操ね。でも、どうしてこんな所で?」
「え、ええっ。ア、アレン君にも教えてあげようかなーって……あ、あのそれで」
「まぁ。でも、アレン君、いないわよ」
「え、えええっ!! そ、そんなぁっ!昨日、帰ってきたって!?」
 ミランダは完全に力が抜けて廊下に座り込んでしまった。ああ、やっぱり勇気を出して、昨夜来ればよかった。人目が何だというのだ。今日逢えなかったら、次、いつ逢えるか解らないのに。バカ、私のバカ。
「いやだ、ミランダちゃん。アレン君はとっくに食堂に行ってるわよ。さっき見かけたもの」
「ええっ、もう!?」
 ミランダは思わず扉を見上げた。朝日が昇る前に来た筈なのに。
「アレン君は…神田達もだけど、夜中に自主特訓したりするから、朝が早いの。アレン君は特によく食べるから」
「ええっ、特訓? みんなそんな事してるの?」  
エクソシストとして、自覚が足りないと指摘されたようで、ミランダは蒼くなった。
「あっ、ミランダちゃんは一日ちゃんとスケジュール組んでやってるんだから、無理しちゃ駄 目だよ。まだ訓練生なんだし。
 ミランダちゃんのイノセンスは補助型なんだから、体力増強より正確に使えるようになった方がいいのよ」
 リナリーは笑った。時間を操るミランダは戦闘型のイノセンスではない。むしろ治療や調査など後方支援に向いている。だから、アレン達と前線に行って戦う事は少ないだろうとコムイは言っていた。
 確かにまだイノセンスを使いこなすどころか、振り回されている方が多いから、アレン達と同等には程遠いが、やはり少し淋しい。
「でも、私も役に立てたらな。あの時も二人に守ってもらってばっかりだったし」
「何言ってるの、ミランダちゃん。あなたが目覚めて私達を回復してくれたから勝てたんだよ?
 もっと自信持たなくちゃ。焦っちゃ駄目」
 リナリーの笑顔に救われた気がして、ミランダは微笑んだ。

(そうね、それが一番いい事なのね)

 ミランダはリナリーの優しく綺麗な笑顔を羨ましく見つめた。私もこんなかわいい子だったら、アレン君にもっとさりげなく簡単にお礼が言えるのに。料理も裁縫もイマイチ。ダンスも会話だって上手じゃない。
 私の得意なのは時間を操る事だけ。
 ミランダはふと思いついた。
「そうだ、リナリーちゃん。あの…アレン君。何かしてもらいたい事とかないかしら」
「して欲しい事?」
「え、ええ。人間て、誰でも失敗した事とか、やり直したい事ってあるでしょ?
 あのね、私、はっきりした時間さえ指定してもらえれば何とかその時間まで戻せるようになったの。ほんの数分だけど……。でも、それで修正するには充分な時間の事ってあるわよね。
 だから、アレン君て何かそういう事ってないかなって。
 ……あっ、あの私っ、お料理も裁縫もてんで駄目でしょ? だから、あの時のお礼ってこれくらいしか思いつかなくてっ!!」
 リナリーからじっと見つめられている事に気づき、ミランダは慌てて聞かれる前から否定した。
 恋心とか好きとか、はっきり自分でも解らない。もし、リナリーに指摘されたら動転して、もっと訳の解らない事を口走ってしまいそうだ。

「あの左目の傷、消せないかしら」

 リナリーはポツンと呟いた。
「え、え? あの傷?」
 ミランダはアレンの顔を思い浮かべた。かわいい顔なのに、ひどい傷があるなぁと初対面 から思っていた。ただその由来も原因もミランダは知らない。人に詰られる事が多かった彼女は、本人が言わない事はあえて聞かない礼儀を早々に身につけてしまっている。

「私、アレ嫌いなの。大嫌い」

 リナリーはミランダを見ていなかった。その顔の冷たさにミランダは意外な気持ちがする。
 リナリーはいつも明るくて優しい。思いやりもあって親切だ。女性、特にエクソシストが少ない教団にあって、リナリーの存在はいつもミランダの憧れであり、よき先輩だった。
 その彼女にこんな表情があるとは知らなかった。

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