「どうして?」
ミランダは思わず尋ねた。あの目はアクマが見えるとだけは知っている。エクソシストにとって、あんな便利なものはないではないか。
「最初は私もいいなと思ったの。それがあれば人混みが怖いとか思わずに済むだろうって。
普通に買い物したり、服選んだり、ただ散歩したり、当たり前の女の子みたいに色んな事出来るんだろうなって。
私、ちっちゃい頃、適合者だってここに連れてこられたから、そういう経験全然ないんだ」
リナリーは小さく苦く、フフッと笑った。
「でも、あれは神田と同じ。まるで死を引き寄せてるみたい。傷がすぐ治るからって、使命の為に自分の苦痛を顧みないで無茶ばかりするように、購いの為にアレン君は回りが見えなくなってしまう。
アレン君がそれに拘るのは解るの。そうしたいって気持ちも。
でも、それは私が兄さんの為に戦うのと違うの。誰かを守りたいって力じゃないの」
リナリーは俯いた。
「私はアクマなんか嫌い。
かわいそうだけど、気の毒だけど、どうしても同情なんて出来ない。だって、私の両親はアクマに殺されたし、そのせいで私は適合者だと知られてしまった。兄さんから引き離されて、ここに閉じ込められてしまった。
毎日が牢獄だったわ。私、ラプンツェルみたいだった。魔女の為に高い塔に閉じ込められた女の子。住む事を強制された女の子。飛んで逃げる事もできなかった。出来るのは髪を伸ばして、誰かが昇ってくるのを待つだけ。それすら諦めた事もあったわ。側にいて欲しい人はもう昇ってきてはくれないんだって。
兄さんが室長になって、ここを私の『家』にしてくれなければ、アクマだけじゃなく、エクソシスト達も憎んでいたと思う。
私は戦う事は好きじゃない。アクマが嫌いだからといって、壊す事はイヤ。壊す感触が嫌い。壊した後に残る気持ちにどうしても馴れない。
アレン君もね、本当はそうだと思うの。彼は優しいから、他に方法がないからやってるんだと思う。
彼は私達とは違う。破壊者である私達とは。魂の救済の為にやってる。
でも、本当の真実は彼自身の償いの為に」
リナリーはファイルを両腕で抱き締めながら、上を見上げた。
「アレン君はあれを道標だと言ってる。道を指し示すんだって。彼の行くべき道を。
だけど、私、怖いの。だって、償いは痛みを伴うもの。苦しみを背負うんだもの。アレン君は必死にそれを背負ってるし、私にも、誰にもそれを分けようとはしない。あれに縛られて、がんじがらめになって、命まで晒してる。
だから、私、怖い。ねぇ、怖いの。あれがいつかアレン君を遠くに連れていっちゃうんじゃないかって。
道の先には何があるの? 全部終わった後には何があるの? 呪いはどうすれば解けるの?
そんなに大事なものなのに、どうしてアレン君はあれを『呪い』だって言い続けるのよ!」
いつしか涙ぐんでしまったリナリーをミランダは言葉もなく見つめた。
ミランダも自爆寸前のアクマを壊す為に、我が身を顧みず飛び込んだアレンを見た。アクマは『敵』だ。勝手に自爆するなら結構な事ではないか。なのに、アレンは『救済』に拘った。リナリーが止めなければどうなっていた事だろう。なのに、感謝するどころかアレンは『何故、止めた!?』と、リナリーを怒鳴りつけたのだ。
普段の温厚なアレンからは信じられない。
確かに危ういとミランダも思う。あの呪いは『見せる』だけでなく、理性をも曇らせてしまうのだ。強烈な磁石のように、それ以外の道を指し示そうとしないのだ。(リナリーちゃんはそんなに…)
必死で涙を拭っているリナリーの横顔を見つめながら、浮かれていた自分を少し恥ずかしく思った。
アレンの事を何も知ろうとせず、表面の彼の優しさだけを見て、何も解っていなかった。あの戦いを間近で見ながら、アレンの不可解な行動の理由も、彼を平手打ちにして泣いていたリナリーの涙の訳も少しも考えてみようと思わなかった。
ただ、アクマの恐ろしさに打ち震え、時間の壁の中で蹲っていただけだ。
初めてだから仕方がないとリナリーは言うかも知れないが、ただときめいていただけの自分がとても恥ずかしい。エクソシストになるという自覚のまだない自分が情けない。
「ご、ごめんなさい、私、何も知らなくて…」
ただ狼狽えて言葉も見つからず、ミランダはスカートの裾を握りしめた。
「いいのよ。私もこんなに一杯言葉が出てくるなんて思わなかった。ちょっとイライラしていたのかも」
にっこり笑うリナリーが少し無理しているように思えて、ミランダは慌てて言った。
「あ、あのね、じゃ私、アレン君に言ってみるわ、左目の事」
「え?ううん……いいんだ。私の考えすぎかも」
「でも、心配なんでしょ?」
「心配っていうより怒ってるんだ。アレン君が自分だけで戦おうってしたから。私達、仲間なのにね」
「でも、一応言ってみるわ。言うだけはタダだもん。もし、駄目でもいいの。お礼以外に話題が見つかってよかった」
リナリーは笑った。
「ミランダちゃん、変わったね。何か、ホント自信がついてきたみたい」
「そうでもないのよ」
ミランダは苦笑した。だったら、こんな所でノックも出来ずにおたついてはいなかっただろう。
「でも、本当に気負わないでね、ミランダちゃん」
リナリーは呟いた。
「アレン君の傷はとても柔らかい。消毒も縫合も受け付けないの。だから、その下の傷の深さが解らない。隠してる痛みも。
だから、ちょっとでいいの。拒まれたって落胆しないで。ちょっとづつ消毒してやって。私もそうする」
「傷に染みないかしら?」
ミランダはちょっと笑った。リナリーは肩をすくめる。
「いいのよ、染みたって。アレン君には、いい薬だわ」
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