アレンは食堂にいなかった。
 それでも、ミランダが諦めきれずにウロウロ探し回っていると、リーバー班長が手招いてくれた。
 口にはサラミとレタス入りのサンドイッチを頬張り、手には4、5人分の食料が入った籠を抱えている。サービス残業に明け暮れる気の毒な科学班の代表として、朝の餌を調達に来たらしい。

「アレンは中庭じゃねぇ? 任務帰りで疲れてるだろうしさ」

 ミランダは礼を言って、回廊を回った。中庭はいつも日が当たる気持ちのいい所だ。仕事に疲れた団員や人生に疲れた探索者達が心を癒す為、よく散歩している。美しい本格的な英国式庭園で、入り口は小さいが奥はかなり広い。蝶番が僅かに軋む古い木の扉をくぐるので、まるで『秘密の花園』のようだとミランダは来るたび、いつも思う。
 ここだけはいつも殺気立った内部とは無縁の場所だった。ローズマリーの生け垣に紫のこぼれるように小さな花が咲いている。蜜蜂がブンブンと小さな羽音を立てて飛び交う。花壇には青や黄色、白い花が馥郁とした香りを放っている。朝露に濡れた古い石像から飛び降りた駒鳥が小さな泉で喉を潤していた。石のベンチには蔦が這い、小さな四阿ではお茶も楽しめる。部屋で昼寝するよりずっといいだろう。
 だが、アレンはなかなか見つからなかった。ひょっとして、球技用のコートにいるのかしらと思い始めた頃、小さな黄色い羽ばたきを見つけて、ホッとする。ティムキャンピーが花壇の上を蝶みたいに飛び回っていた。多分、主人が近くにいる筈だ。

(よかった)

 白い頭が古い石壁に凭れて傾いていた。アレンは石のベンチに座って、すっかり寝こけている。一緒にいた時は精悍なイメージがあったが、こうして眠っている顔はまだほんの子供だ。
(アレン君て、こんなに幼かったの)
 その意外な思いにミランダはショックを受けた。
 記憶では、18歳はいってると思っていたのだ。だが、今、彼女の側で眠っているのは弟といってもよい位 の少年だった。
 この少年に縋りきって怯えていたとは、余程あの時の自分は見境もなく動転して、萎縮していたのだろう。
 アレンはぐっすり眠っている。最初は変な頭と思った白髪も日に透けてつやつやと輝いて綺麗だ。睫 が長い。顔立ちも繊細で、青年と少年の中間である年頃特有の神秘的な清楚さに包まれている。
 少し長くなりかけた髪と、閉じられた瞼のせいで少女のようにも見えた。
(…疲れてるんだわ。起こしちゃいけないわよね)
 ミランダは用心深くベンチの端に座った。
(こうして見ると、本当に目立つな、傷)
 古傷の割に傷口は奇妙な程、紅かった。まるで最近受けたばかりという印象を受ける。それも縫う事も手当すらせずに放置している。そんな感じだった。リナリーから聞いた通 りだ。  呪いとだけは聞いた。アクマから受けた傷だと。それ以上は余りリナリーも知らないらしい。兄であるコムイ室長に聞こうとしないのは、やはり彼女も心に傷を持つ者だからなのだろう。
(痛かっただろうな)
 ミランダは生々しい傷が呼吸のたびに動くのを見ながら思った。
(でも、何でこれが呪いなのかしら)
 リナリーの言う通り、落とし穴があるが、使い方さえ間違えねば、便利な事この上ない。大体、アクマは何故そんな呪いをアレンに与えたのだろう。
 ミランダの知っている呪いは『カエルや白鳥に姿を変えられる』とか『百年間眠ってしまう』とか『時間内に解かないと死ぬ 』とか傍迷惑なものであって、決してお得な特典などない。呪いとは悲劇へのパスポートなのだ。ミランダが見たアクマ達はどいつもイヤらしい姿と残虐な性格をしていて、怖ろしく苦しい呪いしか与えはしないだろう。
(どんなアクマなのかしら)
 ミランダは気になった。
 彼女の横顔を黄色いモノが掠めた。ティムは散策に飽きたらしく、主人の回りをうるさく飛び回り、パフンと頭の定位 置に着地する。ここがティムのお気に入りらしい。
 アレンの目がうっすらと開いた。うるさそうに、しかし、愛しそうにその長い尾に指を巻き付かせながら微笑む。ミランダの気配に気づいて、顔が緩やかにこちらを向いた。日に晒された目が眩しそうに、相手を確認しようと瞬く。
「あ、あ、あの、アレン君。お久しぶり」
 何とか掠れた声を振り絞って、ミランダは微笑もうとした。
「あ………? ああ、えっと…ミランダさん、しばらくですね」
 一瞬思い出せなかったのだろう。眩しくて、認識が遅れたのだと、ミランダはいい方に解釈する。
「訓練はうまくいってるそうですね」
 アレンは笑った。
(よかった! 全然気にしてくれてない訳じゃなかったのね!)
 ミランダの顔はパッと明るくなる。
「そ、そうなの! 何かイメージを作るとうまくいくの。シンクロ率が不安定だから、まずそれからしなくちゃって、リンゴとかコップとか頭の中で出来るだけ正確に思い浮かべる訓練から始めてるの。
  でもね、いつの間にか全部かぼちゃになっちゃうの。アレン君があの時かぶっていたジャック。だから、それにしたらって。無理にオレンジやリンゴである必要はないんだからって。それだとね、うまくいくのよ。ア、アレン君が一緒にいて、励ましてくれてるみたいで。
 ちょっとづつね、色んな事が出来るようになってるのよ。過去とか未来とか見たり、行けたり。
  頑張ったら、ヘブラスカさん(あの人、何かちょっと、ちょっとよ? 怖いわね。いい人なんだけど、いきなり持ち上げるから、私、もの凄い金切り声上げちゃって、落っことされる所だったわ。コムイさんも一言言ってくれればいいのにね。でも、あの人、人間…なのかしら?)のお手伝いとはいかないけど、資料の穴埋めとか、見落としていた事とか、私にも出来る事が見つかるんじゃないかって思うの。
 一番大事なのは、大昔のキューブとか、イノセンスのハートの事なんだけど、私、まだそんな大昔の事なんて全然駄 目で、三年位が精一杯で、それもほんの3分位しか。それで、あの…」
 ミランダはふとアレンと目が合った。困ったように笑っているのに気づいて、思わず真っ赤になる。
「あ、あああ、あの、私、しゃ、喋り過ぎちゃったかしらっ?」
「…少し」
「……そ、そう」
 あからさまに落ち込んだミランダに、アレンは慌てた。
「あっ、でも、元気になったようで嬉しいです。やっぱり女の人は笑顔がいいですもんね」
(女の人……)
 アレンが自分を『女性』だと意識してくれる。凍結地獄に落ち込んだミランダの心は、瞬く間に天まで駆け上がった。
「そ、そうかな。わ、私、嬉しかったり、興奮すると、感情に歯止めが効かなくなっちゃって。母さんにも何遍も注意されたし、自分でも気をつけてるんだけど。そのせいで、失敗したり、一方的に喋って、相手をうんざりさせちゃうって解ってるんだけど難しいの。
 私、滅多に誰かと喋る事なかったでしょ? だから、心の中の事、全部吐き出さないとたまらなくなって。 止められなくて。洪水みたいなの。
 いえ、抑えてるつもりだけど、勝手に言葉や感情が溢れちゃって、だって、でないときっと爆発しちゃうから……ああっ!」
 ミランダは慌てて口を両手で押さえた。冷や汗を流しながら、彼をジトッと見つめる姿に、アレンは思わず笑い出した。
「ミランダさんは面白い人なんですね」
「そ、そう? 面白いと言われたのは初めてだけど………怒らない?」
「どうしてですか?」
「だって、うるさいんじゃないかって」
「僕も神田によく『うるさい』って言われてますよ。やっぱり好きな人と会ったら、心が一杯になっちゃって、色んな事を話したくなりますもんね。
 僕も心に溜めちゃう方だから、最近、自分がちょっと変わったかなって思いますけど」
「そ、そう。アレン君もなの」
 ミランダはホッとした。
(……あら? でも、そしたらアレン君の好きな人って神田なの?)
 ミランダは用心深く口を押さえたまま考えた。

次へ  前へ

55 STREET / 0574 W.S.R / STRAWBERRY7 / アレコレネット / モノショップ / ミツケルドット