神田はまだ二回程しか姿を見かけていないが(しかも遠方から)綺麗は綺麗だが、何やらカンの強そうでギラギラした男だった。刀を携えているのも何だか怖い。この間も赤毛のラビとかいう人に向かって、青筋立てて刀を振り回していた。
 探索部隊の人に聞いてはみたが『神田なんか大キライ〜』と泣きながら駆け去る者ばかりだ。もっとも探索部隊は体育会系の人間が多いから、醜男のひがみかも知れない。
 19世紀の英国人にとって、日本は『発見』されたばかりの新しい国でしかなかった。昔読んだ新聞によれば、日本には『サムライ』と『アキンド』という二つの人種がいて、同じ国民とは思えない程気質が違っているそうだ。特に『ナニワのアキンド』はアラブの商人やユダヤ人の金貸しより血も涙もない怖ろしい生き物らしい。『サムライ』も『ハラキリ』とか『テツポウ』とか『尊王攘夷』とか何やら薄気味悪い印象しかなかった。
 神田は多分『サムライ』なのだろう。責任を取るのに、本当に刃物で腹を切ったりするんだろうか。そんな人が同じエクソシストなのか。
(もし、イノセンスを私のドジで奪われたらどうしよう!?)
 ミランダは考えただけでゾッとした。
『ジョーイ、ジョーイ!』と叫んで斬り殺されるんだろうか。それとも、私が切腹を強要されるんだろうか。考えただけで身がすくむ。コンビを組めとコムイさんに命じられたら、恐怖で死んでしまうかも知れない!

(でも、アレン君が好きなら、いい所も少しはあるのかも知れないわよね)

 とりあえず、ミランダは心の『保留』棚に押し込んだ。神田の事より大事な用がある。
「あ、あのね、アレン君。私、あの時のお礼が言いたくて」
「お礼?」
「だって、私が元気になったのも、自信が出たのも、みんなアレン君のお陰だもの。私、ありがとうって言ってもらったのも、誰かの為に何か出来たのも生まれて初めてだった。
 なのに、アレン君、私の為に大怪我した時も、笑って大丈夫だって言ってくれて。
 私…私ね、嬉しかったの。辛かったの。私なんかの為にって。そりゃ、私が適合者だから守ってもらったのかも知れないけど、でも、やっぱり…やっぱり申し訳ないなぁって、いたたまれないなぁって思ったの。だから、あの時、どうにかしなきゃって思っただけなの。アレン君はあれ以上傷ついたらイヤだって…。
 なのに、私、直接、お礼も言わないまま教団に行っちゃって、今日までなかなか会えなくて…」
 アレンの手が優しくミランダの腕を握った。
「僕もそうですよ」
「え?」
「エクソシストの義務とか任務とかで守ろうとした訳じゃないです。誰かが危ないと思ったら、助けたいと思うのは人間として普通 の事じゃないんですか?
 だから、ミランダさんがそんなに僕への負い目みたいに思ってくれなくてもいいんですよ。僕がしたくてやっただけなんですから」
「そ、そう? そうかな…」
 ミランダは俯いた。彼の言葉に少し気が楽になる。自分が気負いすぎて、却って彼の重荷になる事は彼女の本意ではない。
 だが、同時に少し淋しかった。アレンは誰にでも優しいんだと改めて思う。少しだけ、自分だけ特別 だという言葉が欲しかった。そう望むのは厚かましすぎると解ってはいるけれど。
「うん、でもね。私、やっぱり何かさせて? お礼を形にしたいの。言葉だけじゃ足りないの。アレン君は私の世界を変えてくれた人だから、何かしたいの」
「世界を変えた? 僕が?」
 アレンの目がほんの僅か揺らいだ。
「アレン君はそんな経験ないかも知れないけど、私はあの時、生まれ変わった気がしたの。何もかも世界が突然美しく見えて、自分がここにいてもいいんだって思ったの。こんな私の存在にも意味があるんだって。何かに…誰かに許されてる気がしたの。奇跡みたいだった」
「…………」
 アレンは黙り込んだ。目を伏せて、遠い何処かを愛おしむような、哀しむような表情をする。右手がゆっくり左手を撫でさすった。
 ミランダは直感で悟った。

(ああ…この人も私と同じような事があったんだ)

 それが嬉しくて、ミランダは思わずアレンの右手を握った。
「だからね、だから、アレン君。私、お礼がしたいの! あの、アレン君て、何かやり直したい事とかない?」
「………え?」
 アレンは急に夢から醒めたような目をして、ぼんやりとミランダを見返した。
「誰だって失敗した事や変えたい事あるわよね。そういうのないかしら?
 私ね、三年前位までなら時間を辿れるって言ったでしょ? 三分位だけどね。でも、それだけで充分な事ってあるわよね。
 大事な用を忘れたとか、大切な皿を割っちゃったとか。どうしても行かなきゃいけない試験や面 接の日に限って寝坊したとか。言わないでいい事をうっかり口を滑らせたとか。そんな自分にちょっと注意する位 出来るわ。パラドックスにならないよう注意すれば」
「………やり直したい事」
 アレンは小さな声で呟いた。
「ええ、どうしても変えたい事」
 アレンは逡巡している。大きく瞬きするたび、左目の傷が否が応でも目についた。
(柔らかい傷)
 リナリーが言った言葉を思い出す。ミランダは唾を飲み込んだ。消毒は傷に染みるだろう。だけど、やらなくてはならない。これはいい事の筈だ。アレンにとって。
(消毒しなくちゃ。ほんのちょっとづつだけ。…本当にちょっとだけだから…)
「あ、あの、急に言われても困るわよね。私なんてありすぎて大変だもの。
 だから、一番したい事。これって事ないかしら?
 あの……例えば、その左目の傷」
 アレンが弾けるように顔を上げた。右手を凄まじい力で握り返される。その顔が激しく強ばって真剣そのものなのに、ミランダは怯えた。
 リナリーが危惧していた事を改めて思い出す。
「……変えられるんですか、あの時の事!?」
 アレンの目の光の激しさにミランダはたじろぎながら、必死で頷いた。
「で、出来ると思うわ。や、やっぱり便利だけど、呪いっていけないものでしょ!?
 アレン君が、もし、それが辛いなら、苦しいんなら、ない方がいいんじゃないかしら?
 みんな、それがなくてもちゃんと戦ってるんだし。あ、あの、イヤなら無理にって言うんじゃないのよ?
 でも、やっぱり私はない方がいいと思うの。みんなと一緒に戦ってほしい」

「変えられる……」

 アレンは聞いてないようだった。ミランダの手を握りしめた指が小刻みに震えている。伝わってくる体温が火のように熱い。

「会える…んだ、もう一度……あの時でなくたっていい…もう少し前でも…」

 アレンの唇から掠れた声が漏れた。長い前髪が彼の顔を隠して表情がよく見えない。
 ミランダは只驚きに打たれて、アレンを見守っていた。この細い体に今、どれ程の嵐が吹き荒れているのだろう。これを刻まれた時、そんなにも辛いものだったのか。そんなにも痛いものだったのだろうか。
 自爆寸前のアクマの懐に飛び込ませようとする程、その呪いは強制的で、苦しいのだろうか。
 ミランダは突然怖くなった。
 感謝の念と親切心とリナリーの気持ちに後押しされて、提案してみたものの『消毒』がこれほど難しそうだとは思っていなかった。突然、暴風雨渦巻く絶壁に立っている事に気づいた気分だ。
 もし、うまく出来なかったら、失敗したら、アレンはどれ程悲嘆に暮れるだろう。失望するだろう。私に幻滅するだろう。心の壁を作られるだろう。二度と口をきいてくれなくなるかも知れない。
(だっ、だけど、そんな事どうでもいい)
 ミランダは両手をきつく握りしめた。アレンの剥き出しの傷に触れてしまったのは私の方なのだ。だから、ちゃんとしなきゃ。失敗なんて最初から考えて怖じ気づいてはいけない。今までそれで固くなって、却って失敗ばかりしてきた。
 成功させるんだ。私だって出来る。出来る。誰かの為だったら。

(誰よりもアレン君の為だったら)

 思わず背筋を伸ばしたミランダの手を、アレンがそっと離した。
(………え?)
 驚いて顔を上げると、アレンの力のない瞳と目があった。
「…………ありがとう」
 乾いた笑みがアレンの顔に張り付いている。離した指がまだ震えていたが、アレンはそれを左手で握り込んだ。
「…………」
 もう一度何か言うかと思ったが、唇は閉じられたままアレンは素早く立ち上がる。
 そして、立ち去った。            

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