「…………」
 炎のような勢いで「お願いします!」と頼まれると、半ば身構えて待っていたミランダは茫然とした。

 小鳥が鳴いている。
 そよ風が後れ毛を撫でていく。

 

「…………あれ?」

 ようやく我に返ったミランダが振り返った時、アレンの姿はもう何処にもなかった。
「……ありがとう……って言ったわよね」
 何だか疲れた。ベンチに座ったまま、アレンと同じ格好で壁に凭れかかる。
 感謝の言葉だったにも関わらず、きっぱりと拒絶された気がした。鼻先でドアを閉められたというか、他人の家と知らず土足で踏み込んだような気まずさがある。
 だが、腹は立たなかった。高揚感が去った後の疲労に揺すぶられて、落胆と微かな悲しみと淋しさがある。そして、目も背けようもないが、安堵の気持ちもあった。自分には重すぎる荷を降ろしたような感じ。ツライ残業や居残りを途中でやめて帰っていいよと言われたような、心の軽さが確かにある。これでよかったんだという僅かばかりの罪悪感を伴って。
 ミランダは溜息をついた。
 あの感謝の言葉は今までアレンから聞いた言葉で一番『かさかさ』していた。空虚で、棒読みで、ただミランダの気持ちを損ねまいとする儀礼的なものだった。だが、どうしてだかアレンから受けた最も真摯な感情の発露だったように感じる。

(何故かしら?)

 あの時のアレンは辛うじて立っているだけに見えた。ひょっとして、この提案で彼を傷つけたのかも知れない。不作法で無神経な申し出だと思われたかも知れない。黙って去っていってもよかったのだ。
 だが、幼い頃から今に至るまで、ミランダは心を抉られるような捨て台詞を、これまで何百回となく聞いてきた。それが『巻き戻しの街事件』を引き起こす結果 に繋がったのだ。だから、アレンは彼女を傷つけまいと、何とか『拒絶』をいたわりと思いやりで包み込もうとしたのだろう。

(ううん、それだけじゃない)

 アレンは人の心の痛みを知っている人間なのだ。誰かを傷つける事の痛みを知り尽くしているのだ。彼女よりもっと辛い思いを過去に繰り返した事があったのだろう。それは容易に想像がつく。ミランダとて、アレンを初めて見た時はその容姿を奇妙に思った。アレンはその偏見を乗り越え、受け容れたのだ。未だ、その傷を抱えたまま。
 だから、アレンはあんなに彼女に、人に対して優しくあれるのだろう。
 そのアレンの気持ちがミランダにはやるせなかった。ひどく彼の事が哀しいと思った。アレンは確かに誰にでも優しい。透き通 るように優しい。
 だが、アレンの優しさは何て物悲しいのだろうか。
 だから、拒絶されたにも関わらず、腹が立たないのだろう。
「アレン君……」
 ミランダは小さく呟いた。
 アレンは呪いを受けていると聞いた。それを償う為にエクソシストになったのだと。でも、アレンは何故か救われたいとは思ってないように感じた。何故なら、彼は罪の原因を糺すより、その呪いを与えた人に会いたいとだけ思ったようなのだ。それのみに揺すぶられ、煩悶し、そして、その事がもたらす結果 を彼は『拒絶』したのだ。
 歯を食いしばって、己を縛るように。律するように。重い鎖を引きずるようにして。

(アレン君のあの透き通るような笑顔、何だか気になる……)

 綺麗すぎて。哀しすぎて。

 まるで聖堂のマリア様に似てる。あのピエタ像に似てる。死した息子を抱いた聖母。彼女は普通 に息子の死を悼んだろうか。それとも約束通り、彼を父の元に帰した事を言祝がねばならなかったんだろうか。神に選ばれて、愛する夫のものではない子供を宿した。子供は長じて、天上に戻った。全ての人の罪を背負い、贖罪のやぎのように十字架にかかった。彼女は無実でありながらも世間的には罪人の母となった。
 解らない。ピエタの主題は何なのだろう。

 慈愛と悲哀? 虚無と絶望? 追悼と情愛?

 アレンの顔は何と彼女と同じ表情を浮かべている事か。

『誰を殺した、クック(駒鳥)・ロビン?』

 ミランダは何故かマザーグースの一節を思い出す。おかしな連想だ。マリアは息子を殺した訳ではあるまいし。 

(リナリーちゃん、これで少しはよかったの?)

 これも失恋かしらとぼんやり思った。
 頬に伝わる壁の冷たさが切なかった。

次へ  前へ

やっとこれから主題に入ります。
が、暗いんだ、これからが。 すいません(^^;

55 STREET / 0574 W.S.R / STRAWBERRY7 / アレコレネット / モノショップ / ミツケルドット