田舎の夜道は暗い。
 のどかな丘陵地に添って、田園や森が緩やかに広がっている。近代化も東部の内乱の波に阻まれ、街灯など一つもない。満天の星と月明かりが頼りだ。
 その夜をアルは行く。
 もう転ぶ事も迷う事もできない。一度でも転べば、腕の中のエドは衝撃に耐えられないだろう。抱いて運べる点だけ、今の体がありがたかった。
 いつもならロックベル家まで、だらだら歩いたり走ったりして十五分。遊びに、夕食にと何度この道を通 った事だろう。距離感など一度も考えた事もなかった。しかし、たった三十分程度の弟の往復を待つ余裕すら今のエドにはない。
 だが、不慣れな視覚と聴覚だけに頼るのは限界があった。制限のない視聴覚はその気になれば、闇も昼間のように明るく見え、音も虫の吐息すら聞き取れる。ただ、風景全体も同時にズームしてしまい、却って距離感が混乱した。以前の記憶を基準にして、馴れた感覚で動かないとアルの神経の方がもたないのだ。
 馴れた道でも、田舎は思わぬ障害物が多い。先日の豪雨で出来た水たまりに足をすくわれて転びそうになる。無意識に体が受け身を取った。
『あんたは素晴らしくバランスがいいねぇ。体も柔らかいし』
 昔、体術に素質があると師匠に評されたが、それがアルを救った。
「わっ、たたっ!」
 アルは慌てて木の幹を掴んで立ち止まった。その勢いでエドの体が少し揺れる。
「……っ!」
 エドが微かな呻き声を上げた。止血には限界がある。圧迫で完全に血を止めると、血管や神経や体組織に後遺症が出る為、多少の出血はやむを得ない。布からにじんだ血がアルの下半身をぐっしょり染めている。それが鎧の腕からも伝わって、地面 に幾つも血痕を残した。
 なのに、感じない。次々滲んでくる熱い筈の兄の血も、夜風で冷えていく血の流れも、鎧の関節から入り込む血で濡れた気持ち悪さすら感じられない。
(……………)
 言葉にならない。何もかも悔しくて、悲しかった。自分の学んだ錬金術では人一人救えない。兄の苦痛すら取り除けなかった。どんなに気をつけても、傷は広がる。エドを連れてくるなど無茶だったろうか。
  だが、医者を呼びに行っている間にエドは死ぬかも知れない。家に手術に必要な機材もなかった。あの部屋で兄を一人きりで死なせるのは残酷すぎる。生きる時も死ぬ 時も一緒だ。
 だが、この腕の中で死ぬ事もありえる。その瞬間、アルフォンスの魂も消えてしまうだろう。夜道で血塗れの手足のない死んだ少年を抱いて立ち尽くす、不気味な鎧として、人々に発見される事になる。そんなホラーの主役はまっぴらだ。
(駄目だ。迷うな。考えちゃ駄目だ)
 アルフォンスは走り出した。大して距離もない隣家がひどく遠い。灯が見える。この時間ならウィンリィ達はまだ起きているだろう。
 それだけが頼りだった。
(兄さん)
 エドの唇は白かった。いつだって艶々して、よく動く口。アルはその唇が大好きだった。何度も愉しんで味わった唇。
『キスって…どんな感じなのかなぁ』
 そう言い出したのは

 

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