「早死にしてぇのか、手前はっ!」
 金槌が壁にめり込み、アレンは悲鳴を上げた。
「マナが死んで、糸トンボみたいに痩せ細って、体力も筋力もなくなったお前に何を教えられるってんだ!? へたに何か教えりゃ、考えなしに勇み足で突っ込のがオチだ。思い詰めてる奴は一番危ねぇ。アクマ見りゃマナをぶっ壊した時の事を思い出して、身体がすくんで動けなくなる癖に、何か出来るなんてエラそうな口叩くな!」
 目を見開いたアレンに、クロスは容赦なく畳みかけた。
「…ったく、見える分だけ傍迷惑な目だぜ。大した呪いだよなぁ。一人前のエクソシストになる前に、あの世に引きずり込まれ兼ねねぇ。
 いっそ、刳り抜いとくか、今?」
「やだ、イヤだあぁぁ!」
 左目を押さえて、何もかも拒むように泣きじゃくるアレンを見て、クロスは溜息をついた。
 エクソシストの性だろうか。この呪われた左目を見ると、むかっ腹が立って治まらない。使いこなせば、どれ程の恩恵があるか解っていてもだ。
(……………わずらわしい)
 荒々しくこみ上げてくる感情を脇に押しやり、クロスは泣いているアレンの涙を人差し指で拭った。
「言い過ぎたかも知れんがな、アレン。お前はまだそんなもんだ。アクマも壊せねぇし、誰も救えねぇ。気持ちだけじゃ、何もかなえられねぇんだ。
 お前の運動神経、筋力、集中力。半端は要らねぇんだよ。何より気構えが出来てねぇ」
「…でも、あの男の人は無事でした」
 また金槌が壁にめり込んだ。
「減らず口を叩くな、アホゥ。代わりにお前が呪いかぶってりゃ、世話ねぇや! アクマに遊ばれやがって。で、どんな奴らだった?」
 アクマも魂の質によって、様々なタイプがいる。勤勉に殺す者。弄んでから殺す者。数日をかけてなぶり殺す者。数をこなすのに達成感を感じる者。気に入った相手だけ選んでから殺す者。
 基本的に残忍で殺しに快感を得る事に変わりはないのだが、アレンを女にした連中は気まぐれで、殺しより経過の愉しみを優先するタイプだ。人間だった頃、浮気性の女や男に多い。
「え…っと、爪としっぽが長い、シャム猫みたいなアクマでした。人間の時は双子の美人姉妹で、盛り場によく見かける化粧の濃い感じで。そういえば…変化しても人型でした。いつもの兵器型と違う」
(レベル2じゃねぇか。ったく、この野郎、運がいいんだか、悪いんだか)
 クロスは大きく溜息をつく。
「シャム猫ねぇ…はぁ、全く。恥ずかしいったら、ありゃしねぇ。この俺様の弟子が、このクロス様の弟子がこんな恥ずかしい姿にされました、か。
 これを本部の野郎共に知れたら……」
 クロスの脳裏をコムイや大元帥達がゲラゲラ指差して笑っている姿が走馬燈のように回る。



「ぐわあぁぁぁ!!ムチャクチャ恥ずかしいじゃねぇか! この野郎!」
「ワーッ!! ごめんなさい! ごめんなさいっ!」

 

 アレンの回りの壁をボコボコにした挙げ句、クロスがガックリと壁に手を突いた。
「はぁ……これで当分本部には帰れねぇ…」
(って、言い訳が出来たぜ、ヒヒヒ)
 と、内心思ったが、わざとアレンに見せつける為、悲しいポーズを取った。
「し、師匠……」
 アレンはおどおどしながら、クロスの腕におずおずと手を掛ける。
「で、何処にペンタクルをつけられたんだ、アレン?」
「……………え?」
 アレンの顔が強ばった。
「そこまで見事に身体を変化させる強烈な呪い。ばっちり刻まれたよな、身体に?」
 と、左目のペンタクルを指差し、
「こいつは無理だが『お遊び』でつけられた奴なら、俺でも外せる。調べてやるから、服を脱げ」
「……え…は、はい」
 返事はしたが、アレンは真っ赤になって俯いている。
 クロスはニッコリと、こめかみに血管浮かせて尋ねた。
「アレン君。先生に聞かせてくれるかなぁ? ひょっとして凄っごく恥ずかしい処につけられちゃったのかい?
 シャム猫って言ったよねぇ。美人のお姉様達二人に体中色々されちゃうなんて、もの凄くおいしいよねぇ。筆おろししてもらったの? どんな格好で? どんな感じだった?
 エクソシストだって人間だもの。いっそボクが代わって欲しいくらいだよぉ?」
 アレンはますます真っ赤になって俯いた。クロスの胸がギリギリと疼く。アレンが不甲斐ないせいでも、美人に『かわいがられて』羨ましいからでもない。自分以外の誰かがアレンに触れた事だ。彼のものに痕を残していったからだ。
「そんな…僕! あんなのが良い訳っ………っん!」
 クロスの指がアレンの喉元をくすぐった。ちょいと触れ、顎を指で上げられる。剥き出しになった喉をクロスの指がゆるゆるとくすぐった。いつもなら嫌がるアレンの顔にスッと色が混じる。気持ちよさそうに薄い瞼が閉じられた。
「…………ん……んっ」
 クロスは口元を歪めた。
「ほぉ、やっぱり猫だな。こんな処が気持ちいいのか、アレン?
 じゃ、耳の後ろとかどうかな?しっぽもあるのか、おい?」
 アレンは小さくコクンと頷いた。この長いコートの下に苦労して隠しているんだろうと、チラリとコートを眺める。引き寄せて、背筋から腰にそって撫で下ろすと、アレンの身体がビクビクッと震えた。
「し、師匠っ! や、やめて下さい、そこっ! き、気持ち悪いからっ!」
「しっぽがあるか、確認しただけだ。うろたえんな。こっちまで変な気になるだろうが」
 クロスは意地悪く笑った。感度良好。しっぽも長そうだ。
「変な気って…師匠、じゃ、離して…下さ…いっ。さ、触らない…で」
「調べてんだよ、何処がどうか。どこまで人間なのか。お前がちゃんと答えないからだろう? で、何処だ、馬鹿弟子?」
「え……あんっ、そ、それはっ…」
 アレンは震える身体をクロスからもぎ放そうとした。だが、クロスの腕は強く、撫でられるだけで息が上がる。アレンは動揺した。女の子の腕がこんなに非力だったとは。それにいつもより身体の奥のうずきに火がつくのが早い。ただ背中と喉を撫でられているだけなのに、足が萎えてしまいそうだ。
「消して欲しくないのか? このままの身体でいたいのか?」
「嫌で…すっ! あ…あ…こ、こんなのちゃんと戦え…ないし、恥ずかしいし…それに…マナ以外からの呪いなんて欲しくあり…ませ…ん」

(ああ、またマナね。はいはい)


 死んだ者には勝てないというが、やはり面白くない。今、一緒に暮らしているのは俺の方だ。
 アレンはいつも金の事でギャイギャイ言うが、いつだって何とかなってるではないか。それに仮にアレンが金を持っていたって、保護者がいない限り、世間は信用しない。このホテル一つだって泊めてはもらえないのだ。
 それにアレンは遊んでいると思っているようだが、これでもちゃんと『仕事』をしている。酒場をうろついているのは、情報を聞き込む為だ。
 普段、人間は不可思議な現象や奇怪な噂話を余り口にしたがらないが、酒が入れば別 でだ。口が軽くなるし、他人の注目を集める為、滅多にない事件や隠している事をぶちまけたがる。アクマやイノセンスの情報を得るのに、これほど都合のいい場所はない。(いくら飲んでも誰にも怒られないし)。
 女とつき合うのも、女は超常現象とか占いを好む者が多いからだ。孤独で不幸な女程その傾向が強い。少し水を向ければ、喜んで話すし、気を引こうと彼女達からわざわざ噂話を集めてきてくれる。(女が俺と寝たいというなら、拒む程野暮ではない)。
 任務の合間、宿で待機するのは前線の塹壕に潜むのと同じだ。いつ隠れているアクマが攻撃してくるか解らない。扉を叩くドアマンがアクマかも知れない。今、天井を歩いている誰かがアクマかも知れない。気を抜けば、殺られる。新人のエクソシストは大抵、この期間、それが身に染みてなくて、目や耳たぶを無くす。
 椅子にじっと座っていると、思い出したくもない過去も床の下から、壁の間からユラユラと黒い油みたいに染み出してくる。腐っていく。鼻を突く。
 ピンと張り詰めたような糸の中で、怠惰に別の空間へ移動できる刻を待たねばならない。アレンだけが灰色の空間で色のついた『生きた』人間だ。まだ殻の中の雛鳥だろうと、エクソシストはエクソシストだ。俺の爛れた感情はアレンを貪り尽くさずにおれなくなる。
 それが怖い。
 だから、まだとても前線に出せないアレンを置いて、愚にもつかない大元帥共の指令を放り出して、任務に奔走している時の方が気が楽だ。一ヶ月だろうと、死のやりとりだろうと、休暇を取るが如く、俺は死地に赴く。
 ヴァチカンの極秘任務に携わっている時は、俺は昔の素顔をさらけ出せる。
 黒の教団ですら、知らない俺の顔を。


 なのに、こいつときたら、呑気に美少女なんかなりやがって。
 ムカツク。
 次の指令が降りるまでじっくり『調べ』させてもらおう。


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