「春謳う猫」 5(徹夏)
「……ん」
初めてのキスはお互い動けなかった。
ただ唇を触れ合わせるだけのキス。
大人のキスなど二人は知らない。
ただ唇を触れ合わせてるだけでも緊張して震える。
が、その振動が唇を刺激し合って、生まれたほのかな快感に怯えていた。
(何か…気持ちいい)
男とは思えない程、唇が柔らかくて、弾力があって、それだけで頭の中が白くなる。
心臓だけがドクンドクン脈打ってるのを感じる。
もっと味わいたかったが、夏野が逃げてしまいそうで、徹は蝶をみつめる子供のようにじっとしていた。
ただキスしてるという事実だけが嬉しくて、幸せで、お互いギュッと手を握っていた。
息も出来ない。
仕方も解らない。
「ふ…ぅ…」
ようやく唇を離して、深く吐息をつく。少し顔が紅い。
息苦しさと緊張は残っているけれど、キスを赦し合った事が嬉しくて、見つめ合い、そっと抱き合う。
「…徹ちゃん、体ガチガチ…」
肩口で夏野が笑った。
「夏野も、な」
徹も笑った。
お互いの体が熱い。だが、離れがたくてしばし抱き合う。多幸感でどうにかなりそうだ。
夏野の体温を感じてると、先程の舌の快感が体の底に下りていきそうで怖い。
歯止めをかけなければ。
徹はようやく腕を解いた。
「徹ちゃん…?」
また目が合う。夏野の瞳が甘く切なげに揺れていた。
見てるだけで、くらりと酔いそうになる。全身の血管が粟立つ。抗えない。
「夏野…」
衝動に押されて、徹は再び夏野の唇を塞いでいた。
そっとついばむ。
一度合わせた唇は離すと勿体無くて、口淋しくて、幾度も幾度もついばみ合った。
唇の弾力が気持ちいい。
「は…」
時折、夏野が漏らす吐息が肌をくすぐる。
止められない。止めたくない。もっと欲しくなる。もっと先が知りたくなる。
(夏野が知りたい。もっともっと触れたい)
歯止めなど何処かに置き忘れた。
欲望に突き動かされて、夏野の髪や背中を撫でる。
そのたびに夏野の体がビクビクと反応するのが嬉しかった。
夏野も同じように徹に触れる。徹の形を知りたがる。
その綺麗な指の感触が気持ちいい。夏野の手のひらが通り過ぎた部分が熱い。
他人に撫でられるのは、何故こんなに心地よいのだろうか。
好きな相手だと、より甘い。蕩けそうだ。
相手を感じたくて、神経が過敏になる。ビリビリする。
もっともっと色んな部分に触れて欲しかった。
キスすればする程、お互いが敏感になっていく。喉が渇いて仕方がない。
まだキスに馴れてなくて、すぐ息苦しくなる。
夏野は「ふあっ」と息継ぎをした。その吐息すら愛しくて、徹は口を塞いだ。
「んんっ…」
開いた口の先にあった舌に徹の舌が触れ合う。
その初めての衝撃に二人ともビクッと震えた。
粘膜同士の接触は手で触れてるのとは訳が違う。
感じた事のない快感が駆け抜けた。
ほんの少しだけの触れ合いなのに、脳髄や脊椎までゾクゾクッと震えが走る。
その感覚に驚いて、二人は思わず口を放した。
ハァハァと無言のまま、お互い見つめ合う。
唾液が口元から零れるのを拭うのも、少し恥ずかしい。
(流されかけてる…)
ほんの少しだけ、夏野の心に恐れが湧いた。
漠然とした知識はあったが、実際の行為は生々しくて、水音や衣擦れや匂いや味まで五感を激しく刺激する。
さっき一緒に食べたチョコやポテトチップスの味を、徹の口に感じるのは全く予想外だった。
きっと徹も同じ味を感じただろう。
キスはレモン味なんて信じていた訳ではない。
が、感触はともかく味はもっと透明なものを想像していただけに、「これは現実」なのだと、夏野を強く揺さぶる。
しかも舌を触れ合わせた衝撃は、全身から力が抜けるほどの快感だった。
自己を失いかける程の状況は初めてだ。それが怖い。あらぬ言葉でも口走りそうで。
が、戸惑う夏野に考える暇を与えず、徹はまた夏野を抱き締め、唇を奪った。
今度は躊躇いもなく、舌で夏野を追い求める。
再び襲う激しさと甘さに、夏野はつい逃げた。
だが、徹はグッと夏野を強く抱き締め、より深く口を合わせる。
「う…っ」
徹の舌が夏野を求め、探し回る。
口蓋や頬の粘膜を擦っていく。
その気持ちよさと空気の薄さで頭がボーっとしてきた。それに逃げ続けるのも疲れていた。
おずおずと舌を延ばすと、すぐ徹が触れてきた。絡められる。
(あ…あ…)
その激しさとつのる快感に抗えない。
いつしか夏野も徹に応えていた。
角度を変え、息を荒げながら、相手を味わう。
(徹ちゃん…)
キスだけで、どんなに徹が夏野を想っているか解る。
その想いを受けて、夏野の体が弛緩していく。
徹のシャツを必死に握っているのが精一杯だ。
「夏野…」
耳元で囁かれた。
紅く染まった耳たぶを甘噛みされ、夏野は軽く鳴く。
耳たぶを吸われ、舐められるだけで体がビクビクと震える。
「んん…っ、ああっ」
その間も夏野の体の線をしきりに徹は味わっていた。
想像した通り、しなやかで無駄な線がない。
張り詰めた肌は何処を触れても強く反応して、感じている事を徹に伝える。
だが、まるで足りない。もっと味わいたい。喉が渇いて仕方がなかった。
それは心の飢えだ。夏野でしか満たせない。
耳たぶから唇を滑らせ、うなじに顔を埋めた。軽く噛む。
「ひ…あぁっ!」
いつもの夏野とは全く違う、上擦った甘い声が響いた。
自分の声に驚いて夏野の体が突っ張る。
(かわいい…)
もっと声を上げさせたくて、噛んだ部分をぺろりと舐めた。
幾度も甘噛みしながら、キスをする。
「あっ…やだっ、徹ちゃん…ダメッ」
夏野は震えた。気持ちよすぎて抵抗できない。
徹を掴む指が食い込んで痛い程だが、徹は甘んじた。
それは徹を感じてる印。徹への夏野の刻印。
徹が夏野に紅く所有印をつけるのと同じように、夏野も幾度も徹に爪を立てる。
もっと感じさせたくて、反対側のうなじにも顔を埋めた。
「あっ…んんぁ…ふぁ」
どうしよう。体が溶けそうだ。
うなじを責められているのに、腰の方に何か重い重心が膨らんでいく。
この感覚を夏野は知っている。
でも、今は徹から受ける快楽をやり過ごすだけで精一杯だ。
快感から逃げようとするせいで、二人の足が絡み合った。
腰が擦れ合う。それだけでまた甘く、まだ鈍い衝撃に二人は酔った。
「はぁっ…あ…ん…」
徹は震える薄い瞼にキスした。
夏野がビクンビクンと跳ねるたび、その快感が徹にも伝わる。それが徹も快い。
もっと気持ちよくさせたくなるし、もっと深く夏野を知りたい。
「夏野…」
夏野のTシャツをたくし上げ、手を潜り込ませた。
服の上からより直に夏野に触れたい。
激しい鼓動と体温を感じたかった。
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