「春謳う猫」 6
「や…やだ…」
が、夏野は抵抗した。手首を掴まれて、徹は怪訝な顔をする。
やはり初めてで、いきなりこんな行為は早すぎたろうか。
「何? やっぱイヤか?」
荒い息を吐きながら、夏野はフルフルと首を振る。
「じゃ、何で?」
「…が、がっかりするだろ、徹ちゃんが」
「は?」
「だって、俺、胸ない…から」
俯く夏野に、徹は思わず噴き出した。
(ホントに夏野はかっわいいなぁぁ)
「あったり前だろ? あったら、びっくりだ」
「けど…」
「いいも何も」
徹は夏野のキュッと胸の突起を捻った。
「ひうっぅ…!」
突然の強い刺激に、夏野は身を反らせて、あられもない声を上げた。
その反応に満足し、徹は紅い突起にチュッとキスをする。
唇とキュウッと持ち上げると、舌でコロコロ転がし、また軽く吸った。
反対の手は脇腹や胸を優しく往復させる。
そのたび、夏野は呻き、声を上げて、ギュッと徹の背中にしがみ付いた。
「こんないい反応してんのに、胸のあるなしなんか関係ないだろ?」
「い、言うなっ、バカッ!」
恥ずかしさで夏野は体を捻る。
その体を抱き締め、徹は熱っぽく覗き込んだ。
「そういうのどうでもいい。男とか女とか。それっ位、俺は夏野の体に夢中なんだよ」
「…う…」
夏野は息を呑んだ。こういう所は徹にかなわない。
閉塞的な村の中でただ一人、頑なだった夏野の垣根を飛び越えてきた男。
自転車を直してくれて、笑いかけてきたあの日の笑顔。
(あの日から、俺はずっと徹ちゃんに惚れてたのかもなぁ)
切なさがこみ上げてきて、ギュッと徹にしがみ付いた。
徹が好きだ。徹が欲しい。
もっともっと奥まで俺をこじ開けて欲しい。
つい他人との間に垣根を作りそうになる俺を。
徹にだけは本当の俺を知って欲しい。
「わ、解った…。いいよ、俺、徹ちゃんなら…いい…」
普段だったらとても言えない言葉が滑り出る。
照れ臭くて、顔だけはどうしても横を向いてしまったが。
「うん…」
徹が嬉しそうに夏野をふわりと抱き締めた。
(ああ…)
その幸せに夏野は胸が一杯になる。
親の都合で振り回されて、親の一部みたいに扱われてきた。
子供だからある程度は仕方がないと割り切れる。
だが、親の主義主張まで押し付けられるのにはうんざりしていた。
個性を尊重すると口では言いながら、我が子の個性を踏み潰す事には自覚も、罪悪感も感じていない。
この村に来たのも両親に言わせれば『夏野の為』も理由の一つだったが、何故そんな言い訳をつけるのだろう。
最初から夏野に意見を求めた事などないではないか。
確かに自然一杯の美しい場所だ。
観光客として通り過ぎるだけなら、退屈だがそれなりに楽しめるだろう。
だが、住んでみると全く違う。
この村は閉塞感で満ちている。出口などない。
山に閉じ込められて、何処にも出られない。
そこから出ようとも変えようともしない。
いつも誰かに見られてる。噂話ばかりしてる。自分達にしか関心がないから。
そこでは全員役柄が決まってる。性格すら勝手にレッテルを貼る。
酒屋の息子。医者の跡継ぎ。寺の若僧侶。
個性は発揮できるが、余り逸脱しない事を求められる。
予想外の反応は罪悪だ。
善意と悪意が裏表でなく、両方表に出ている事にすら気づかない。
最初、何故親がそれが解らないのか不思議だった。
元々深く人付き合いしないから、気にならないのだろうか。
でも、すぐ気づいた。
親も村人と同類なのだ。自分達の主義主張しか認めない。
自分達だけ。
都会の窓からの風景が変わっただけだ。家の内部は関係ない。
あの村人達と何処が違う。
解ったのは、自分だけが異端者だという事だった。
だから、都会に進学したかった。
誰も「結城夏野」という枠に嵌めない場所へ。
けれど、徹に抱かれて思う。
自分が望んでいたのはそんな事じゃない。
自分をちゃんと見てもらいたかったのだ。
他人が勝手に押し付けてくる役柄でなく、素のままの夏野を認めて、付き合って欲しかった。
ほんのそれだけだったのだ。
(ああ、だから俺はこんなにも徹ちゃんが好きなんだ)
夏野は徹にしがみ付いた。
徹の唇が、舌が欲しい。もっと俺を味わって、確認して、俺を俺にして欲しい。
徹の前だけは素のままでいられるから。
愛してくれるから。
こんなわがままな自分でも。
徹ちゃんだけは、隠れた俺を見つけてくれるから。
「あ…は…あっ!」
徹の触れる全部が気持ちいい。
指も、唇も、摺れ合うTシャツも、熱を帯びた肌も。
欲望が尽きる事なく湧き上がって苦しいくらいだ。
でも、徹の指が躊躇いがちにジーンズの膨らみの上を彷徨い出すのを感じて、夏野はさすがに怖くなった。
ここまでは勢いでやってきた。
でも、ここからはお互い未知の領域だ。
夏野は性に疎いし、徹も初体験である。
ここまではまだじゃれ合いで済ませられるかも知れない。
些か度が過ぎていても、キスの延長で片付けられる。
が、性器に直接触れるのは決定的過ぎた。心の準備が出来ていない。
ファーストキスだけで既に充分な程、心は満ち足りている。
だけど、男だから直接的な快楽に流されて、ここまで許してしまった。
それ位、徹を好きだった。
体は充分反応してしまっている。後先考えず流されてしまいたい。
もし、ここで辞めても後で徹を想って自慰をするだろう。
でも、それでも全てを露わにするのは怖い。
どんなに徹を好きでもまだ早すぎる気がする。
男だから妊娠の心配などないが、自分の一番恥ずかしい部分を見せるのも触らせるのも、もう少しだけ待って欲しかった。
どんな風に愛されるのか想像するのも恥ずかしかった。
既に充分感じている。今日はここまででいい。
徹ちゃんに愛されてると感じたから幸せだ。
既にこんなにおかしくなりかけてるのに、これ以上の場所に踏み込むのが怖かった。
夏野は思わず、そこで彷徨っている徹の手を払いのけていた。
が、徹は止めない。また指が優しく擦り上げてくる。
布越しに重みと熱を増しているそれを二本の指がキュッと握った。
「う…あぁっ」
足元から背筋までビリッと電流が走った。
今までとは違う明白な感覚で頭が痺れる。
それでも怖い。溺れそうで怖かった。
わななく手で、もう一度徹の手を払いのける。
「と、徹ちゃ…ん…」
拒絶した訳ではない。ただ、慄く心を解って欲しかった。
だが、躊躇う夏野に焦れたのか、徹は容赦なく夏野のジッパーを下ろした。
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