「不満そうだな」
 クロスはクスッと笑った。
「今更ですよ。時々、旅芸人に戻ろうかって本気で思います」
「ハッ。ガキがいくら頑張ったって、遊んでいるとしか思われん。客はお代なんか払わねーよ。マナが倒れた時、身に染みなかったのか?
 責任が取れない奴はナメられる。世間の仕組みはそういうもんだ」
「じゃ、大人らしく、たまにはうちに金を入れて下さい!」
「お前で何とかなる内は、わざわざ俺が出張る事もなかろう」
 クロスは酒を啜った。

「それに俺に命令するとは何様だ、アホゥ。お前に代わってなんて誰がやるか。俺がやるなら、お前を含めて、全員を毟り倒してやるから、そのつもりでいろ」

「ええっ、そ、それは…」
 アレンは震え上がった。


  かつて賭博の手ほどきを受けた時
『バクチは授業料を払って覚えるもんだ』
 と、文字通り全身毟り取られた。服を返してもらえず、幾日も全裸で家事をやらされ、師匠の知人が来ようが、愛人が来ようが、そのままで接待させられた。左腕を人目に晒す事に対しても、師匠は一顧だにしてくれない。
『何が恥ずかしい? お前自身の腕だろうが。しかも今はその腕の存在理由も知っている』
『で、でも…』
 余りの恥辱にアレンは泣いて抗議したが
『そうやって痛い思いをしねぇと、身に付かねえよ』
 の一言でバッサリだった。
 このままでは外に買い物にも行けない。文字通り、死に物狂いで腕を磨かざる得なかった。師匠では返り討ちに会うので、良心をかなぐり捨て、全身にシーツを巻き付け、同宿の客をカモにして、やっと急場を凌いだ。借金の取り立て人など、師匠に比べれば可愛いものだとアレンは思う。


 師匠のやり方は一時が万事この調子だ。マナの死によって、生きた人形と化し、衰弱しきってしまった体に過酷な筋トレの愚を施しはしないが、それ以外はアレンの事情など何一つ考慮してくれない。子供である事も、養父が恋しい事も手加減する理由にはならない。
 クロスがアレンにやらせるのは、エクソシストの修行とは程遠い事ばかりだ。

 それでも、彼についていくしかない。自殺し損ない、ベッドの上でクロスの暖めた皿のミルクを猫のように飲みながら、生きる事を選択してしまった以上。

「代わろうか、馬鹿弟子?」
 クロスはニヤリと笑った。からかっているのだろう。アレンは内心臍を噛む。クロスは自分からするとは滅多に言わない。いつもアレンに選択させる。無理矢理であろうとも、無体な要求でもアレン自身が選択した事であれば、アレン自身が責任を取らねばならない。
  だが、これは精神修行でも、大人扱いでもなく、単なるいじめだとアレンは思う。クロスは誰に対しても、まっすぐに愛情を向けたりはしないのだ。


 つき合っている女性達にしてもそうだった。彼は釣った魚にエサは滅多にやらない。だが、寄っても、去っても、構わないという態度がつれなくていいと、女性心を一層くすぐるらしい。アレンは解らなかった。どうしてマナのように好きな人を大事にしたいと思わないのか。そして、彼女らはどうしてそれを許してしまうのか。

『解らないけど、自分だったら彼を変えられるんじゃないかって思ってしまうのよね。クロスが誰のものでもないからこそ、そう思うのかも知れないけど。彼の心に傷を残したいわ。どんな形でもいいから』

 愛人だった女性がそんな事を言って笑ったのを、アレンは思い出す。師匠に本気で惚れるのもいるし、ヒステリック、嫉妬、諦念、淡泊な大人のつき合い、友情に変じたもの、色々だ。


 だが、総じて言えるのは皆、何年経っても師匠を忘れないという事だ。でも、師匠の態度は一貫して変わらない。それが、時々アレンには癪に障る。こんな愛し方しか出来ないのだろうか。こんな風にしかどうして人とつき合えないのだろう。

 アレンはマナのような愛し方しか知らない。何もかも相手に注ぎ込み、深く豊かに心から思いやる事。相手以外、他に何一つ要らないという事。だから、アレンは世界と向き合う事を知り、反対にマナを失うと同時に世界も喪った。

 クロスはアレンに再び世界と向き合うように引き戻した。それがマナといた世界とは微妙に異なる世界だったにせよ、アレンはその道もあるのだと示してくれたクロスに感謝している。


 だから、歯痒かった。愛情の温度差は個人差があるにせよ、クロスは何処か世界と一線引いて接しているように感じられる。自分に触れるのも、何かにつけ茶化すのも、まともに触れ合っている気がしない。それがアレンにはもどかしい。
 クロスだって、一度は誰かに本気になった事がある筈だ。
  師匠はねちっこい。気まぐれで、皮肉屋で、執念深くて狡猾だ。頭がよくて、何も見逃さず、忘れない。その気になれば如才なく、礼儀正しく人好きにも振る舞える。滅多に表に出さないが、優しくて思いやりもあった。これだけ豊かな感情を心の奥に秘めている人なのだから、女性関係だけ淡泊というのは解せない。


 師匠も誰かを本気で愛した事はあるのだろうか。彼の心の中にどんな人がいるのだろう。彼に本気で愛されるというのはどんなものなのだろうか。


 アレンは自分の小さな姿を見下ろした。それは自分ではない。悲しい認識だが確信できる。今は違う。


 女性達が笑いながら、後ろを通り過ぎた。アレンは彼女らをチラリと見る。師匠が植物の影にいるのが嬉しかった。誰も師匠に気づかないのが楽しかった。

『自分だったら彼を変えられるんじゃないかって思ってしまうのよね』

 彼女の言葉を思い出す。
 あまたいる愛人の中で、師匠を変えられた者はいなかった。
 でも、いつか。
 いつか、クロスが真正面に見る者が現れるのではないか?
 アレンは瞬きした。
(何を恐れてるんだ、僕は)
 師匠なんか好きではない。師匠といるのも『前に進む』為だ。エクソシストになる為だ。師匠に愛されたい訳ではない。
 もし、本気で師匠を好きになったら、愛人達が師匠に向ける感情がどんなものか思い知る羽目になる。

『誰かを愛する事を躊躇っちゃいけないよ』

 マナはそう言ってくれたけれど、それがこの男なのかと言われると困惑する。日々、抱かれる事、依存している事を、愛情と取り違えるには、マナとクロスは異質すぎて難しかった。大体、今でも師匠とマナが友人という事がどうしても納得できない(まぁ、仲良さそうには見えなかったが)。
 それでも、誰も師匠を見ていない事はアレンを安堵させる。自分でも悔しい程に。


「結構です。もう少し頑張ってきますから」
 アレンは大きく溜息をついた。クロスは目を細めて笑う。カタンとコップをテーブルに置いた。
「じゃ、頑張るキミの為に少しはご褒美をやるか」
「え?」
 踵を返しかけたアレンは振り返った。クロスはちょいちょいと指で呼ぶ。
「何です? ……わっ!」


 何の気なしに近寄ったアレンはいきなり抱き寄せられて、仰天した。唇を深く塞がれる。素早く舌が潜り込み、アレンの舌をたぐり寄せた。存分に絡まされ、一方的にしゃぶられる。キスは慣れた筈なのに、息が詰まりそうだ。押しのけようとする手に力は入らず、カリッと服の上から胸の突起を擦られて反対に彼のコートを握りしめた。


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