「わ〜い、凄いや。じゃ、明日発つの? 宿からミサの鐘が聞けるね」
「いや、今夜から発つつもりだ。出来るだけ早く来いと言われてるんでね」
「えっ?」
 アレンは驚いた。いつも徒歩での移動だが、ここから南イタリアではそれでは間に合わない。だが、駅馬車の移動は辛かった。客は何十時間もスプリングのない固い椅子に座って、砂利道の出す凄まじい騒音に堪え忍びながら、旅をせねばならぬ のだ。しかも馬車に暖房器具などない。冬の山越えはツライだろう。
 今夜はゆっくりマナの腕枕でぐっすり眠れると踏んでいたアレンの眉は大きく下がった。

「ねぇ、マナ。明日じゃ駄目なの?」
「この為に今日は早めに仕事を切り上げたんだ。みんなクリスマスディナーの後、ミサに行くからね」
「……うん」

 アレンは渋々頷いた。マナは絶対に教会に行かない人間だから、必然的にアレンもクリスマスを教会で過ごした事はない。
 それでも、二人は教会の鐘は好きだったし、何よりクリスマスはアレンの誕生日なのだ。二人きりで過ごす夜は暖かくて素晴らしい事ばかりだった。お金がなくても、マナは最初に出会った時と変わらず、アレンをびっくりさせる名人だった。いつの間に作ったのか、木で削った音色のいい横笛やかわいいマリオネットなどをプレゼントしてくれる。しかもそれを使って、アレンの為だけのスペシャルショーを観せてくれるのだ。アレンは歌ったり、踊ったり、心ゆくまで笑って、幸せな思いでマナの腕の中で眠りにつく。

『メリークリスマス、僕の大好きなアレン』

 と、最後に頭にキスしてくれるのが、いつもその夜の締めくくりだった。

 この時、アレンはいつも心から生まれてきてよかったと思う。幼い頃、悲しかった事も辛かった事も、泣くのをこらえて耐えた事も、みんな、この幸せを味わう為のレッスンだったように思える。彼を苦しめた保母や殴った監督、目の前の虐待を無視した神父達をも許せるような気がするのだ。


 でも、今年はそれがない。


 南イタリアのホテルはとても魅力的だけど、何か大事な物を取り上げられたようで、ひどく寂しかった。このクリスマスをどんなに愉しみにしていたか、マナは解ってくれなかったのだろうか。


「まぁ、子供に悲しそうな顔をさせて、いけないパパね。せっかくのクリスマスなのに、あなた、ミサにも行かないの、罰当たりさん」

 ウェイトレスがパンのお代わりを持ってきた。食べたいだけ焼きたてのパンを持ってきてくれるのも、この店のいい所だ。勿論、彼女らは食事だけでなく、春も売る。船乗りが多い港町では珍しい事ではない。
「ええ、天罰を喰らって、教会から閉め出されてるんで」
 マナは微笑んで彼女を見上げた。その目にヒヤリとするものを感じたのだろう。彼女は一瞬口をつぐんだ。が、マナはそれを茶化すように肩をすくめる。
「君も行ってないじゃないか、お互い様だろ?」
 女性に片目を瞑ってみせながら、指でアレンに合図を送った。アレンは急いでパンをポケットに押し込んだ。明日の朝食代がこれで浮く。
「男の船が時化で着くのが遅れて、今夜はフリーなの。お互い様同士、今夜はつき合わない?」
 女は馴れ馴れしく、マナの肩に胸を押しつけた。潮風に洗われた巨体の男達に較べ、マナはいつまでたってもケンブリッジの学生みたいな顔なので物珍しいのだろう。
「どうして僕みたいな文無しの芸人をかまうんだい? この店にはフリーの紳士諸君が一杯いるみたいだけど」
 船乗り達は流れの芸人と街の女がくっつくのに、いい顔はしない。酒を飲んで笑いながらも密かに、あるいはあからさまにこちらを伺っている。

 だが、アレンは彼らよりもっと露骨に顔に出していた。
  マナに女が触れているというだけで血が逆流している。毛が逆立ち、手足が冷たくなった。今すぐ立ち上がって、女をひっぱたき、突き飛ばして、罵倒の限りを浴びせてやりたい。胸を押しつけた時は吐きそうだった。こんな薄ら汚い女が、僕のマナに触れてるなんて。この鍋に残ったスープを頭からぶっかけてやりたい。

「そりゃ、あんたが顔通りの体も優男なら願い下げよ。でも、曲芸してるあんたを見たの。この服の下には、なかなかステキな筋肉があるって直感したのよ」
「お褒めに預かって光栄です、お客様」
 そのお客様にスープ皿を投げつけようとしているアレンの足を、マナは小さく蹴飛ばした。

「だけど、僕の前はいつも予約席でね。貴方の申し出は受けられない」
「……この坊や? 呆れた。子供なんかと野暮ったく過ごそうって訳?」
「この上なく世間一般的にね。ここらで君は一番の美人だけど、僕の一番はいつだってこの子なのさ」
 マナはアレンに笑いかけた。アレンは黙ってマナを見つめている。

「……あらま」
 二人を見比べて、女は肩をすくめた。
「当てつけられて、フラレた訳?
 でも、まぁ悪い気はしないわね。いい旅を。メリークリスマス」
「メリークリスマス、美人さん」
 女は手をヒラヒラさせて、次のテーブルに向かう。
 マナはふわりと笑って、アレンに囁いた。


「出ようか、僕のアレン」


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