誰かの気配がする。
(アレン)
 目を向けると、やはりアレンだった。礼拝堂の大きな扉の所に立っている。扉のせいで小柄な姿が余計小さく見えた。全く何しに来たんだろう。リナリーに俺の居場所を聞いてきたのだろうか。うっとおしい。和解も議論もしたくなかった。
 面倒臭い。誰にも姿を見られたくない。
 俺は手近な懺悔室に滑り込んだ。気付かずにさっさと行ってくれるといいんだが。
 アレンは俺に用があって来たのではないようだった。
「わ〜」
 と、見事なステンドグラスや彫刻に目を見張り、丸天井の壁画に心を奪われている。教団の礼拝堂は何処の教会にも引けを取らない荘厳なものだ。アレンは感心したように眺めながら、ゆっくりと祭壇へと歩いていく。
(何だ、お登りさんか)
 俺は内心ホッとした。安心すると、勝手に誤解した自分に腹が立ってくる。意識しないと思ってたのに、これでは自意識丸出しではないか。みっともない。これもアレンがタイミング良く現れるからだ。
 教団内部がまだ珍しくて、散歩で迷い込んだのだろう。やれやれ。全くどいつもこいつも昼寝の邪魔済んじゃねぇよ。見学が終わったらとっとと出てけ、モヤシ。
 アレンは祭壇の前に立った。じっとキリスト像を見上げる。しばらく何事か呟いていた。祈りでも捧げてるんだろうか。
(まだかよ)
 俺はジリジリしながら待った。息を殺して、アレンを懺悔室の隙間から見ているのは何となく胸がざわめく。何と静謐な顔をしているんだろう。あの呪われた左目で何を考えているんだろう。
 アレンの呟きを必死で聞き取ろうとしている自分に気付いて、俺は舌打ちした。アレンの事は無視すると決めた筈だ。偶然ここに現れたからといって、それがどうだというんだろう。
 アレンはようやくキリストから視線を逸らした。ちょっとだけ俯いていたが、頭にいつも止まっているティムキャンピーに微かな笑みを向けると、出口へと歩き出す。俺は張り詰めた息を吐き出して、ホッとする。あの姿が消えるのを少し残念に思った。そう思った自分にイライラする。
(全く、何だってんだ、俺は)
 アレンが出たのを確かめようと、もう一度隙間に目をこらした。
 アレンが立ち止まっている。何かをじっと見つめている。
(何だ?)
 俺はそれを目で追った。
 ピエタ。
 嘆きの聖母像。
 磔刑になったキリストの亡骸を膝に抱いて嘆いているマリアの像を『ピエタ』という。
 アレンはそれに釘付けになっていた。目は瞬きもしない。彼の体が少し震えている。唇が震えてる。
(アレン?)
 いきなりアレンの肩が落ちた。首が大きく傾いてる。まるで何か大きな感情にさらわれて、身も心も叩き潰されたように。
  倒れるんじゃないかと思った。
 俺は思わず身を乗り出した。だが、動けない。ここから飛び出して行くことが出来ない。
 そのままアレンは動かなかった。
(淋しい)
 俺はアレンの背中を見つめた。何て淋しい背中だろうか。何て重たい背中だろうか。まるで冷たい何かに斬りつけられたようだ。魂を喰われていくようだ。
 あいつの回りに闇が見える。ピエタとアレンだけしか世界がない。
 アレンはようやく身じろぎした。泣いてるんじゃないかと思ったが、その顔には何もなかった。空白だった。そのままゆっくりと歩き出す。俺の方に近づいてくる。
 俺は動転した。気付かれたのだろうか。ドアにかけた自分の手を慌てて離す。その時、自分が剣を握ってない事に気付いた。アレンに走り寄ろうとした時、我を忘れたのだ。俺は驚く。剣を忘れるなど初めての事だった。
 アレンは懺悔室の前で立ち止まった。俯いていて、表情はよく見えない。
「…………神父様、います、か?」
 アレンは微かに呟いた。
(声が、掠れて、る)
 泣いてない。でも、声が震えてる。
「懺悔したい、ん、です」
 俺は迷った。俺は神父だ。信者に求められれば、断れない。懺悔には守秘義務もある。
 だけど、俺はアレンの懺悔なんか聞きたくなかった。今、聞きたくなかった。
 けど。
 俺は動けなかった。
 逃げないと、どんな事にもたじろがないとずっと前に決めたから。
 アレンは俺の沈黙を了承と取った。
 懺悔室の扉が開かれた。


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