アレンは俯いていた。
顔色が真っ白だ。目にも何の表情もない。
壁の仕切の細工で俺からはアレンが見えるが、アレンは全く俺を見る事は出来ないようになっている。
沈黙と薄っぺらな、しかし絶対的な壁が俺達の間に立ちふさがっていた。
「神父、様」
アレンはようやく声を振り絞った。
「人殺しは……重罪でしょうか」
「ああ」
俺の声が神田だとアレンが気付いてくれない事を俺は祈った。
「血が繋がっていなくても、捨て子を育てた人は『父親』でしょうか?」
「ああ」
「父殺しは、第一級重罪でしょうか?」
「ああ」
「愛する人を殺すのと、父親を殺すのと、どちらの方が大罪ですか?」
俺はじっとアレンを見つめた。
「………殺したのか」
「3年前」
アレンの声が掠れた。
「この手で、僕が殺した。二度」
「………………!」
アレンの空白の瞳から、ぱたぱたと涙が膝にしたたり落ちた。
「殺した……僕は殺されてもよかったのに。AKUMAにした僕は呪われて当然だったのに。
最初も次もマナは僕の為に死んだ。マナは衰弱して、あんなに苦しんで死んだのに、僕はどうしても、もう一度会いたくて、生きて欲しくて、淋しくて……。
マナは僕の世界の全てだった。だから、やっと安らかになった人を目覚めさせてはいけなかったのに、解ってたのに、僕は………。
だから、僕は殺されてもよかったんだ。呪われて当然だった。抵抗なんかしなかった。マナに殺されたかったんだ。
そのつもりだったのに、この腕が勝手に…」
アレンは左手を握りつぶしたいかのように右手で握りしめている。
「 マナは壊してくれと言った。愛してるって…。
でも、僕はマナを壊したくなかった。
マナだけは壊したくなかった。
なのに、僕の左手が勝手に動いて、マナを殺した。
最初だけは僕の意志でなかった」
また涙がパタリと膝の上に落ちた。
「AKUMAはこの世にあっちゃいけない。僕はAKUMAを破壊する」
アレンはその手を額に押し当てた。
「でも、何度壊してもあの時の光景が消えない。マナを殺した瞬間の感触を覚えてる」
俺はアレンを見つめた。アレンは魂の救済に固執している。相手に自分の過去を投影する。それは危険な事だ。自分の心を蝕む行為だ。
だけど、
「それがお前の原罪だ」
「解っています」
アレンは両手を組んで目を瞑った。
「僕は………僕らはあの時、もっと重い罪背負ってたから、 伯爵につけ込まれても当然でした。でも、僕らは血が繋がってなかった。だから、僕は後悔なんかしていない」
アレンは微かに笑った。
「父親を殺したら地獄行きですか?」
「かもな」
「でも、あの日々は『天国』でした。貧しかったけど『天国』でした」
アレンは立ち上がった。
「……罪を清めていく気はないのか?」
アレンは首を振った。
「僕は神の祝福はいりません。償いも、もうしません。だって、それではマナとの日々を否定する事になります」
俺は溜息をついた。
「それでは懺悔の意味がない」
「ハハ……すいません。ただ、誰かに聞いてもらいたくて。まだ時々、何か僕、ふらついてて、決意が切れそうで…」
「そのまま、前に進む気か?」
アレンの背中が呟く。
「僕は…最初から罪人から出発しました」
そして、出ていった。
(馬鹿だな、あいつ)
俺は髪を掻き上げる。悔い改めない聖職者など聞いた事もない。確かにクロス元帥が送り込んできただけの事はある。
(しかし)
何となく奇妙な話だった。AKUMAは伯爵のおもちゃだ。一切、自由意志は持てないし、伯爵の命令には絶対服従する。例外なく最初に行うのはAKUMAにした張本人を殺して皮をかぶる事だ。
なのに、マナはアレンを呪う事から始めた。自分がなる筈の肉体を普通呪うだろうか。愛してると言ったという。自由意志のないAKUMAが。通 常では考えられない。
呪うほど愛していたとも考えられるが、どうも最初からアレンの父親は自分の方が死ぬ つもりだったのではないだろうか。伯爵の命令に抵抗する程、強い意志を持っているAKUMAがいたとしてだが。
それにインドにいる筈のクロス元帥も何故、そこに立ち会ったのか。
ただ伯爵の気配を辿って偶然現れただけなのか。
解らない。
イノセンスはイノセンスに惹かれるから。
(それとも、これも神の計画の一つって奴かな)
俺は天井を睨んだ。俺がエクソシストでいるのは俺の意志だ。でも、俺は誰かに命じられたり、振り回されるのは性に合わない。例え、それが神であってもだ。だから、これまで独りを通 している。
俺はアレンの顔を思い浮かべた。
空白の顔。
(あれが本当のあいつだ)
笑わないアレン。笑えないアレン。
顔は微笑みの形を作るけど、ただの一度も心から笑ったのは見た事がない。
表情は豊かだが、微笑みだけに生彩がないと感じたのはだからか。
「それがあいつの原罪か」
ピエタ。
俺は懺悔室の扉に凭れて、聖母子像を睨んだ。
罪のない息子を殺されて、それでも母親は誰かを恨まなかったんだろうか。殺した相手を憎まなかったのか。息子の死を受け容れたんだろうか。ただ悲しんだだけだろうか。理不尽な死を。
アレンはピエタに何を見たんだろう。
何故急に懺悔する気になったんだろう。
『僕は…最初から罪人から出発しました』
そうアレンは言った。
だけど、マナとアレン。罪は本当はどっちにあったのか。
「チッ」
俺は舌打ちした。
知るつもりはなかった。知ったからって何をしてやれる。アレンの話はAKUMAにまつわる在り来たりな悲劇の一つに過ぎない。あいつは育ての親を事もあろうに愛してしまった背徳者だ。
だけど。
恋するって感情を俺だって知ってる。
好きで好きで好きで、自分の中がそれだけになってしまって、自分すらなくなってしまうような気持ちを俺だって知ってる。
誰にも構わない。誰も心に入れない。それを通してきたのに、こんなにあっさり心に食い込んでくるなんて。
あの空白の顔からしたたる涙を見てしまったからか。
あの涙と同じものを昔、俺も流した事があるからか。
俺はゴンゴンと柱に後頭部を軽く打ち付ける。
「らしくねぇな」
俺は腕組みをしたまま、自嘲した。
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