「うちゃやとしずお」2

 

「じゃ、俺は一旦事務所に戻って納金の精算してくっからよ。夕方からまたな〜」
 トムはスーツケース片手に手を上げた。静雄は軽く頷いてから歩き出す。

 借金などしてる奴が自宅にいる時間は限られている。訪問時にいてくれればいいが、大抵は都合よくいかない。
 へたに追い掛け回しても徒労に終わる。狙いは早朝か深夜だ。
 だから、彼らが不在がちの午後はポカリと時間が空く。

(…今日は来ねぇな、あいつ)

 街で時間を潰すのもバカらしいので、静雄は自宅に向かった。
 朝干した洗濯物は充分乾いているだろう。
 途中のスーパーでタイムセールの食料品を買った。
 社長に立て替えてもらってる借金を返さねばならぬ身分としては、少しでも切り詰めないといけない。

 静雄はアパートの前に立ち、何気なく自宅を見上げた。
「お帰りなさ〜い、あなた〜ん?」
「…………?!」

 静雄は驚いた。
 臨也が自分ちのベランダでひらひら手を振っている。
 しかも、ハンカチ代わりに振られているのは、明らかに静雄のパンツだ。

「あんの野郎っ!!」

 静雄は慌てて階段を駆け上がった。バーン!!とドアを開く。
 手に握ってたスーパーの袋が勢い余って壁に当たり、グシャッと音がした。

(クッソーッ、卵が…っ)

 粗忽な自分を呪いつつ、卵の恨みを臨也に向けた。
「誰があなただ!? 手前、何で俺んちにいやがる?」
 胸倉を掴んで睨みつけたが、臨也は動じない。

「いや〜、外で待ち伏せしようと思ったんだけどさ。
 今日はビル風がキツイし、追い駆けっこした挙句、路地裏に引き摺り込まれて、犯されるパターン飽きたんだよね。
 管理人さんに学生時代の友人で〜すって言ったら、あっさり入れてもらえちゃった」

 静雄は眉を顰めた。
 この物騒なご時勢、そんなあっさり入れる筈がない。
 だが、機械のセキュリティでなく、人間相手では臨也にとって開かない鍵はないのだろう。

「けど、逃げ場はねぇぜ。
 絞め殺すもベランダから投げ落とすのも、俺の自由だよな、ノミ蟲ィ」
「俺が簡単に殺されるタマならやってみてよ。
 またアパート追い出されて困るのはシズちゃんの方だと思うけど」
「引っ越すハメになるのは、大抵手前のせいだろうが!」

 静雄は歯軋りする。臨也の敏捷さは認めざるを得ない。
 刺客に襲われようと、臨也が原因だろうとと、大家にとればアパートを壊される事に変わりない。
 既に噂が立って、引越先が見つけにくくなっている。

「ったく、手前はかわいくねぇな。
 どうして、こんな風にしか俺んとこに来れねぇんだよ」
 溜息をつき、静雄は臨也の胸倉を解いた。

「ま、手前の来る事は解っていたけどな。あれから毎日だしよ」
「俺の顔を見ないとシズちゃんが淋しいだろうと思ってさ。

 それにあの時、珍しくシズちゃんが入院したじゃない? 
 弱ってるシズちゃんて滅多に見れないもんねぇ。
 傷悪化して死なないかなって期待もするさ」
「おかげで手前とヤり過ぎて、傷も開きかけたがな」

 静雄は苛立たしげに頭を掻いた。

「だからって、勝手に上がり込む事ぁねぇだろ。
 その…メールとか電話とか待ち合わせなら出来るじゃねーか」

 頬を掻きながら、明後日の方向を見て赤くなる静雄に、臨也は一瞬呆気に取られた。
 プッと噴き出す。

「ハァ、シズちゃん何言ってんの? いつから俺達付き合ってんのさ」
「だって、言っただろ。お、俺は好きな奴としかしねぇって!
 けどよ、俺はするばっかじゃなくて、ちゃんと買い物とか食事とか手順を踏みてぇんだ」
「それってデート?」
 想像して、臨也は鳥肌が立った。

「ドタチン達に見られても平気な訳? 俺は考えただけで死にたくなるね」
「え? まぁ、けど、いいんじゃねぇか。
 お前がどう思ってるか知らねぇけど、俺は遊びのつもりねぇから」

 根が生真面目な奴はこれだから困る。
 静雄相手だと、どうして自分の思う方向に話が進まないのだろう。

「冗談じゃないね。大体、今更俺達が一緒に何処行きたい訳? また映画館?」
「え…いや、あれはもういい」
 さすがにトラウマになったらしい。静雄は首を振った。

「だからよ、こんだけしてんだから、俺達そういう事じゃねぇのか?」
 臨也はわざと大袈裟に溜息をついた。
「俺はセフレとか一杯いるからさ。してるってだけじゃ、シズちゃんもセフレなんだけど」
「ふ〜ん」

 そんな奴らと一緒にすんなと怒り出す筈だったのに、静雄は肩をすくめただけだった。

「何だよ。違うって言う気?」
「だってよ。
 俺とこんだけ毎日毎日ガンガンやって、そんでまたそいつらと付き合う精力があるたぁ、お前って凄ぇ淫乱だと思ってな」

 静雄は真顔になった。

「嘘だろ、ノミ蟲。
 そいつらがいようといまいと、今は俺オンリーなんじゃねぇか?」

 臨也の顔がサッと赤くなる。
 図星だった。あれ以来、誰と寝るのも興味がなくなった。
 昨夜もビジネスの延長で四木とそういう空気になりかけたが、何となくその気になれずに身をかわして帰ってきてしまった。     
 だから、四木に見透かされたのだろう。『男がデキたな』と。

 それが自分にとって危うい事だと解ってる。
 ガキの様に感情に溺れたら、闇の世界で生き残れない。
 誰とでも寝て、誰にも未練を残さなかった。
 だって、全ての人間を愛しているから。
 たった一人に執着などしてられない。

 でも、それでも静雄に逢うのがやめられないのだ。

「違う。自惚れないでよ。それは…」

(イザヤのせいだ)

 そう言いたかった。
 あいつが静雄に恋しがるから仕方なく来てる。

 だが、それは出来ない。自分の意思をイザヤに委ねてる事になってしまう。
 そうじゃない。自分自身の意思だ。

(けど、それはシズちゃんをを好きだからとかそんなんじゃなくて、嫌いだから、憎らしいから気になるだけだ。
 体を繋ぐのもケンカの延長で、隙があったら支配下に置こうと目論んでるだけに過ぎない。
 それ以外に意味なんかない。あってたまるか!

 シズちゃんは俺が大嫌いな筈だし、相変わらず殴るけど、それは俺がそんだけの事をやったり言ったりしたからだ)

 それ以外で理不尽な暴力を受けた事はない。


(…あれ?)
 臨也は戸惑う。

 以前は問答無用で自販機が飛んできた。
 でも、今は違う。
 静雄から暴力を仕掛けてくる事はなくなった。
 あれはネブラの件からだ。
 自分だけが必死に煽り続けてる。元の関係に戻そうと。

(シズちゃん…ホントに真剣に俺と付き合うつもり?)

 困る。

 臨也は心底うろたえた。
 何か理由は解らないが困る。凄く困る。

(だって…だって、俺は…)

 いつも思考が空回りする。
 自己矛盾の塊。
 そんな事は病院で静雄を愛してると自覚した時、とっくに解っていた筈だ。

『シズちゃんが好き。大好き』
 イザヤが囁く。

(ああ、うるさい!)


「臨…也」
 言いかけた静雄の唇を夢中で塞いだ。
 これ以上、余計な事を考えたくない。
 自分自身、全部うやむやにしてしまいたかった。
 誰にも心をかき乱して欲しくなかった。

(怖い…)

 ふと感じる。
 何が怖い? 
 理由など解らない。
 立ち竦みたくなくて、ただ無心に静雄の舌を求める。

「……ッたく」

 静雄は衝動的なキスに戸惑ったが、いつしか応じ始めていた。
 角度を幾度も変え、吐息が交じり合い、交わりが深くなる。

 静雄が無言でグイと臨也を引っ張った。
 二人でベッドになだれ込む。


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