「ユウが気になる?」

 不意に声を掛けられ、俯いていたアレンは顔を上げた。
「い、いえ、別に。いつもの事ですから」
「ふ〜ん」
 ラビはカラコロ下駄の音を立てて、回廊をゆっくり回った。
「アレンはさ、それでいい訳?」
 僕、やっぱり戻りますと、アレンが言うだろうとラビは踏んでいたのだが、アレンは曖昧な笑みを返すだけだった。
「さぁ」
「さぁ…って、さぁ」
「神田は僕の事が好きじゃないですから」
「はぁ?」
 ラビは立ち止まった。
「僕はそれでもいいって、勝手にしますって言ってるんです。勝手に好きになって、勝手に付きまとってるんです。
 最初はもの凄く嫌な顔をされて、追い払われたけど、最近、やっと一緒にいても無視しないでくれるようになったんです。
  僕達、任務で擦れ違いばかりだから、あんまり進展ないんですけど、神田はその方がいいみたいです。すぐ結論を迫ったら、逃げ出してしまうんじゃないかって。僕はそっちの方が怖くて」
「そりゃ、まぁ、凄い進歩だけど〜」
 ラビは嘆息した。
「あいつ、釣った魚に餌はやらないぜ?」
「そうでしょうね」
(ま、魚によりけりだけど)
 ラビはさっきの神田を思い浮かべた。
 あれで 『好きじゃない』か。端から見れば大笑いだが、アレンの顔には愛されている者の自信が感じられない。真正面 から見てもらっていると実感できないのだろう。多分、神田の気持ちがふらついているからだ。
 神田は攻撃的な性格だが、そのイメージを自分自身に押しつけているような気がしてならない。任務達成のみに心身を捧げ、他は全部削ぎ落として、ひとふりの剣であらんとしている。
 そういう人間は確かに強い。だが、それは昆虫や貝と同じだ。固い鎧の下は非常に柔らかくて脆い。だから、神田は他人を受け容れる余裕がないし、本人もそれを感じて恐れてもいる。
 ラビは神田の事など表面的にしか解らないが、神田の中には既に別の人間がいるのかも知れない。心に秘めた相手が。そんな気がする。その相手に対して、後ろめたさがあるのだ。アレンを好きになってしまう事が裏切りではないかと思っているのだ。
(一度に一人)
 神田の許容範囲はそれで精一杯。その癖、嫉妬深くて独占欲は強そうだから、相手に『絶対』を要求する。相手も自分もお互いで一杯に満たさずにおかない。自分以外の相手に目を向けるのも許せない筈だ。
 アレンを受け容れたからには、その相手と恋愛関係だったと言い切れないのだが、それでも神田の気持ちがふらついているのは、多分そのせいだろう。

(…ったく、面倒臭ェ奴ゥ。人には厳しい癖にさぁ)

「アレン、神田はアレだからさぁ。好きになると苦労するっしょ」
「アレ?」
 ラビは肩をすくめた。
「世の中には一杯真実があるのに、神田は自分の真実は一つしかないと思い込む奴なんさ。不器用もん。だから、どっか臆病な所があるんだなぁ。まぁ、選ぶのは神田だけど、選ばせるのはアレンだから、余り気にしない方がいいぜ?」
 アレンは苦く微笑んだ。
(ああ、こいつもそれは解ってるのか)
 ラビは思う。
「でも、そういう事引っくるめて、僕は神田を好きになったから」
 アレンはラビから目をそらして、庭を見やった。小鳥が数羽、灌木の間を鳴きながら、跳ね回っている。
「ラビ、僕達はエクソシストでしょ? 今日はこんな風に呑気に笑ってられるけど、明日はどうなるか解らない。
 本部にいると、探索部隊の人達の入れ替わりが激しいの目に見えて解るんです。出会った頃ね、食堂で神田が部隊の人達といざこざを起こして、僕は思わず止めに入ったんです。部隊の人達は仲間を亡くしたのに、神田の言葉や態度が余りに彼らに対して冷たかったから。
 でも、今になってみれば、神田だって悼む心がなかった からじゃないと思うんです。
 作戦で死者が増えたら、それはエクソシストの責任なんです。早く到着できなくて、アクマを壊せなかった僕達の。イノセンスを持たない彼らを先に前線に投入しなければならないのが、現在の状況ですから。
 だから、悲しみに引きずられて、沈みかねなくて、溺れまいと必死なんです。僕らまでそうなってしまったら、次の任務に支障を来すだけだから。立ち上がれなくなったら、もっと殉職者が増えるだけだから」
 アレンは生け垣の木の実を指でなぶった。濃い緑の中で、その実は光るように赤い。
「僕は『時間がない』ってものがどういうのかよく知ってます。
『好き』とか『愛してる』とか、そんなのいくら言っても、抱き合っても、終わる時はもっと言っておけばよかった、しておけばよかったって事が膨れ上がって、し足りなくて後悔するんです。好きなら好きな程。
 だから、どんな結果になったっていいんです。僕は神田に『好き』と言うのやめません」
「ふ〜ん」
 ラビはアレンの横顔を見つめた。
(俺より年下の癖に、苦しい恋をした事あったんかなぁ)
「ラビは神田の事好きなんですか?」
 アレンはラビに笑って尋ねた。
「何で?」
「だって、神田の事、よく見てるじゃないですか」
「ああ、まーね。観察と記録がうちの稼業だからさぁ」
 ラビは頭を掻いた。
「でも、だから俺は恋に落ちにくいんさぁ。人の事が見えすぎて、心の奥まで解ってしまう。恋の駆け引きなんて出来ねぇよ」
 ラビは笑った。
「でも、神田の事は好き。アレンも。これはホント」
 ラビは部屋に戻ると、タオルと着替えをカバンから取り出した。
「なぁ、アレン。好きって言いたいのも解るけど、お前の方から引いてみたら?
 焦らして、あいつの方から追いかけさせるんさぁ。それで初めて自分の本当の気持ちに気付くんじゃないかな。
 あいつ、自分のしっぽに向かってグルグル回ってる犬だからさ、まっすぐ走ってこさせるにはそれしかない」
 アレンはちょっと思案してるように、小首を傾げた。
「やってみます」
「じゃ、今日は俺とデートして?」
「はぁっ?」
 アレンは驚いた。顔の間近で笑うラビにどぎまぎする。


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