神田は頭の後ろで腕を組み、布団の上に寝そべっていた。
 あれきり、誰も離れに訪れない。望み通りの静寂、望み通りの一人きりの時間だ。
 神田はゴロリと寝返りを打った。
 なのに、何で心ゆくまでくつろげないのだろう。
 風呂も一度入ったものの、何だかつまらなくてすぐ出てしまったし、散歩に行く気も出ない。いっそ山に登って、六幻の修練で積めばいいのだが、気力が低下している今はシンクロ率が低くて却って危険だ。
 それにここには休息に来た。休むのも務めである。
 だが、気持ちは少しも晴れなかった。チクチクと肌を刺すようにそればかり考えてしまう。

 アレンの事を。

 アレンは結局あれきり戻ってこなかった。きっとラビやリナリー達と楽しくやっているのだろう。普段、抑圧されている人間が多いだけに、宴会も大変な騒ぎに違いない。神田が団体旅行を嫌うのはそのせいだ。気持ちに抵抗もあって、今更自分から行こうとは思わない。
 だが、素晴らしい久しぶりの懐石料理も少しもおいしくなかった。神田の嫌いな品は殆どなかったにも関わらず、砂を噛んでいるような気がして、半分以上も残した。
 エクソシストになってから、味覚や音感、つまり心が愉しむ感覚が次第に薄れていっている気がする。戦争で病んだ兵士達が精神を風化させていくのと同じなのだろう。それはツライとは思わない。苦痛がない方が戦闘には楽だから。


 ただ、アレンといると幾らか違うように感じる。
 アレンは実においしそうに食事する。楽しそうに笑う。悲しい時は素直に泣く。
 神田が喪いつつあるものを、アレンは手放そうとしない。どこまでも普通の人間らしくいようとしている。
 それでも、あの笑顔の中に何処か空洞があるのを、神田も気付いていた。心の傷を持たないエクソシストはいない。
 だが、それでもアレンは踏み留まっていようとしている。無痛の世界に逃げ込むまいとしている。
 それが神田には腹立たしく、無性に羨ましい。その強さが愛しい。
 だから、アレンといたかった。彼といると、自分の人間の部分が甦ってくるような気がする。剣そのものではなく、それを握る手に実感がこもる気がする。
 神の兵器ではなく、人そのものとして、アクマと対峙できるような、それが自分にもまだ許されているような、そんな気がする。

 

 なのに、アレンはここにいない。

 

 神田はまた寝返りを打った。
 外は雨が降っている。パタパタと屋根を叩く音は神田を責めているようだ。

(………チッ)

 最初はラビを置いて戻ってくると思った。宴会が始まりますよと呼びに来ると思った。自分から出れば、ラビから笑われそうで嫌だった。
 だが、アレンの足音は聞こえてこない。


(そんなにラビといるのが楽しいのかよ)


 ラビにもアレンにも、何より自分にむしゃくしゃして、腹が立って仕方がない。何であんな眼帯ドラゴンやモヤシうさぎに翻弄されなければならないのだ。


(くそっ、今更のこのこ戻ってきたって、入れてやるか!)


 だが、夕方過ぎて、日がすっかり暮れ落ちてもアレンは戻って来る様子がない。神田は心配になり始めた。畳を毟ってばかりいる自分がバカみたいだ。気分が苛立ちを通 り越した。ドアをちらちらと見ては溜息が自然とこぼれるのを止められない。

(何で来ないんだ、あいつ。待ってますとか言った癖に)

 何で俺を一人にするんだ。勝手にするってこういう事か? 勝手に付きまとって、勝手に好きだと言い続けて、こっちがその気になったら、もういいのか?
 俺はどうなるんだ? その気になってしまった俺はどうなるんだ。

 アレンがラビのように性悪だとか、人をからかって遊ぶタイプには思えない。だけど、ラビに唆されるという事はあり得る。

(馬鹿な。アレンはそんな奴じゃない)

 いや。こんなに遅いのは何か他の事があったのではないか? どうしても手を離せぬ 事。よくない事。アクマ。いや、それなら神田だって気配で分かる。
 もっと、よくない事だ。隙の多いアレンの事だ。ラビでなくたって、簡単につけ込める。大体、あの浴衣という代物は少し動いただけで、何で簡単に裾や襟元が乱れてしまうのだ。あの下品な宴会の席や風呂場でアレンをどうこうするの位 ……。

 思わず六幻片手に立ち上がってしまった事に気づき、神田は動悸を沈めようとした。六幻を胸に抱いて、賢明に自分を抑える。


(何、考えてるんだ、落ち着け、俺。落ち着け)


 大体、神の武器を持つアレンを素手でどうこう出来る人間はいない。生身の細い右腕ですら、その気になればプロのボクサーを一撃で倒せる。アンバランスな肉体では真にイノセンスは使いこなせない。特に寄生型のイノセンスは肉体を酷使するから、鍛え方も半端では勤まらないだろう。
 ただ、アレンは優しすぎる。押しに弱い。
 普通に口説かれたら、しかも相手に多少なりと好意を持っていたら、誰だって悪い気はしないのではないか。

(アレンが俺以外に誰に口説かれるっていうんだ)

 ラビの顔がよぎる。神田は座布団にまた座り込んだ。臍を曲げたとはいえ、何故あっさりラビと行けなどと言ってしまったのだろう。

 頭がもやもやしたもので一杯だ。
  だから、さっきドアをノックされた時、つい

『遅い!』

 と、怒鳴ったら夕食を運んできた仲居で、ひどく恐縮されてしまった。決まり悪くて、自分が愚かしくて、謝ったものの余計落ち込んだ。嫉妬も怒りも流れて消えた。せっかく日本にいるというのに、感傷に浸る気にもなれない。

 

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