「……………」
 マナはしばらく無言で微笑んでいた。アレンが見つめているのを感じて、軽く首を振る。
「…ケンカした事は確かだよ」
「どうして?」
 マナは優しく微笑んだ。

「神様より好きな人ができちゃったからさ。
 神様より大事な事があったんだ。
 だから、僕は神様に祈るのをやめた」

 アレンは黙ってその顔を見つめていた。それは罪を悔いる顔でも、購いを求める顔でもなかった。重荷を黙って静かに受け入れた顔だった。
 キリスト教徒にとって、神は至高であり、第一の存在でなければならない。神様より誰かを愛してはならない。上位 に置いてはならないのだ。神父達はマナの事を不信心者、異端と呼び、扉を閉ざすだろう。
 だが、アレンはマナがそんな大罪人とは思えなかった。
 マナの足が痛むなら、アレンは祈りは止めると言った。マナの表情に淀みはない。きっとその程度の単純な事なのだ。単純だが、重要な事なのだ。だから、引き下がれない。切り捨てられない。誰に恥じる事なく、顔を向けられる。
 マナはそうする事が出来る人なのだ。
 アレンはそう理解した。

(でも、マナの神様より好きな人って誰だろう)

 アレンはそれが気になった。
「じゃ、どうしてその人といないの? 神様より好きなんでしょう?」

 言いながら、声がどんどん沈んでいくのを感じた。きっと優しい綺麗な人だろう。自分には似ても似つかないような素敵な人なのだ。マナは旅芸人と名乗ったけれど、だとしたら、今もその人の元に戻る途中なんじゃないだろうか。
 旅が終わったら、その時、僕はどうなるんだろう。マナは一緒に暮らすと言ってくれた。だから、その人とも一緒に暮らすのかしら。その人もきっとマナのように優しいだろう。親切にしてくれるだろう。
 だけど、その人はマナじゃない。
(どうしたんだろう、僕)
 悲しい。ひどく悲しい。
 孤児院に送り返されるかも知れないと怯えているのではない。
 アレンは渋々と悲しみの核心を見据えた。
 自分がマナの一番じゃない。神様より大事な人ではない。
 それを知ってしまったからだ。
(マナ…)
 アレンは唇を噛んだ。顔を見せたくなくて、食事に没頭する。
 出会って、まだ数時間しか経っていないのに、どうしてこんなに彼の事を好きになってしまったのだろう。今まで誰かに愛される事を我慢して、諦めて、目を背けてきた。何とか理由をこじつけて、自分に降りかかる不都合や理不尽と折り合いをつけてきた。
 一人でも平気なように。
 誰にも愛されない子供でも、この世にはいるのだと受け入れられるように。


 だけど、少し心を開いたら、もう雪崩のように砦が破られた。こんなに好きになって、止めどもなくなって、この人の心が少しでも自分に向いてないと、満たされていないとイヤだなんて、そんな事あるだろうか。自分はそんなにわがままだったのか。
 まだ自分はほんの子供だ。これは子供らしい独占欲だ。不安と愛情をごっちゃにしてるのだ。
 そんな事ない。マナに好きな人がいると聞いただけで、こんなに張り裂けそうに胸が痛むなんて。

「フラレたんだよ」

 マナはあっさりと肩をすくめた。信仰すら捨てた大罪と引き替えの事なのに、マナは大して嘆く様子もなかった。
「どうして!?」
 アレンは思わず声を上げた。
「僕が大嫌いなんだってさ」
「そんな」
 アレンは首を振った。マナを嫌いなんて信じられなかった。自分だったら、天にも昇る程嬉しいだろうに。マナの何処が気に入らないのか。
「ひどいや、その人」
「どうして?」
「だって、マナはその人の為に…」
「アレン」
 マナはパンを千切って、肉汁をつけながら言った。
「僕はその人の為に神様とケンカした訳じゃない。僕の自分勝手だ。むしろ、その人は僕と同じ罪を受けようとした。
 でも、もうとっくに終わった事さ。済んだ事だ」
 マナはアレンの頬をつついた。
「ハハァ、こんなにうまいのに食が進まないなと思ったら、僕がその人の事をまだ忘れられないと思っているのかい? アレンはおませさんだね」
「えっ……あ、あの」

「忘れないよ。僕は本当にその人の事が好きだった。でも、どうにもならなかった。僕が悪かったのかも知れないな。
 どんなに好きでもどうにもならない事は多いんだよ、アレン。
 だけど、僕はその時その時の気持ちに正直でありたいと思ってる。どれも大切な気持ちだ。棄てきれないものだ。僕は旅に出た。少しでも前に進む為にね。
 そして、僕は今日アレンに出会えた。君を守りたい、一緒に暮らしたいと心から望んだんだ。やっと、このディナーに招待できた。素晴らしき哉、クリスマスさ。こんな嬉しいクリスマスは久しぶりだよ。後でバイオリンを弾いてあげる。
 だから、笑って、アレン。それが僕への何よりの贈り物だよ」

 マナは片目を瞑った。
「まぁ、馬小屋で申し訳ないけど…しゃれてるだろ、クリスマスを馬小屋で過ごすなんて」
「うん!」
 アレンは思わず笑った。マナが自分を大事に思ってくれるのが解ったからだ。それだけで心が明るくなった。神様には悪いけど、いつかマナの一番になりたい。この人といつまでも一緒にいたい。それが罪だとは思えない。そうでしょう、神様。
「じゃ、乾杯しようか、アレン=ウォーカー」
 マナはコーヒーのマグを突き出した。思わぬ響きにアレンは目を丸くする。
「アレン…ウォーカー…」
「今日から僕の家族だから、そうなるだろ? アレン=ウォーカー、君の新しい誕生日だ。神様の生まれた日に、馬小屋で祝うなんて最高だろう?」
 言った後で、マナは小首を傾げた。
「そう言えば、君の誕生日を聞いてなかったね。いつか覚えてる?」
「……忘れちゃった」
 アレンは笑って、首を振った。今まで教会で拾われた日が誕生日という事になっていたが、誰も祝ってくれない日などアレンには意味がなかった。どうせその日すら、アレンが本当に生まれた日ではないのだ。
 今日でよかった。今日を置いて他にない。孤児院での悲しい日々と共に忘れてしまえるだろう。昔の誕生日の日付など。
「じゃ、改めてハッピーバースディ、アレン=ウォーカー」
 二人のマグがカチンと音を立てた。


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