「で、出来るのか、そんな事が」
「僕は金はないけど、コネはあるんだ」
 肉屋は逡巡した。どう見ても、この男は貧しい大道芸人に過ぎない。
 だが、妙に威厳があるし、学もある。ただの貧乏人ではないようだ。
 金持ちや貴族の子息には時々、変わり者がいて、拘束を嫌い、身分を隠して芸術家を気取ったり、庶民の生活に憧れたりする。それとも、庶生児でどこかの王様の落とし種…。
(ううう、バカ。そんなおとぎ話みたいな事があるもんか)
 しかし。
 しかし、復活祭か。
 キリスト教ではクリスマスと並ぶ聖なる祭りだ。パレードや期間や規模においては、クリスマスを上回る地域も多い。この街もそうだった。その教会(つまりはこの街そのもの)に肉を卸せるとなれば、今までのこの店の帳簿では考えられなかった天文学的な数字が並ぶ事になる。
(才覚さえあれば)
 彼は自分がヨセフ商会に劣るとは一度だって考えた事はなかった。学校時代でも、市場でも一番いい物が、考慮される事なく、自動的にヨセフ商会の御曹司の手に渡るのを、歯ぎしりしながら眺めていたものだった。女も肉もだ。
 それを見返せる?
 ヨセフの野郎を。世間を。
 この男の一言で?
(んな事あるもんか!)
 ある訳ないのだが。
 肉屋は腕組みをして、真っ赤になったまま熊のように歩き回った。
 マナは小首を傾げて、腰に手をやった。
「信用してくれないなら、話はここで終わるんだけどね」
「ま、まぁ待て待て! ちょっと考えさせろ! その話は本当に本当か! 証拠は!」
「ないね。僕を信じてもらうしかない。どっちにしろ、僕にはもう何も失うものなんかないんだ。後はあんた次第だよ。どうするんだ?」
「だから、待てっつったろ!」
 肉屋は呻り続けている。
 マナはやれやれと少年の横に腰を下ろした。少年の無表情だった顔に血の気が通 い出している。目の前で信じられない事が起こっているからだろう。かわいい顔を上げて、まじまじとマナを見つめている。青い瞳がキラキラしていた。笑いかけると、照れたように俯いた。
(やぁ、僕の株も上がってきたかな?)
「両手」
「…………?」
「いいから」
 ポケットから焼きたてのクリスマスクッキーの入った袋を取り出すと、マナは少年の手に握らせた。
「後で食べてもらおうと思ったけど、長引きそうだから今おあがり」
 少年は目を見張ってマナとクッキーを見比べていたが、空腹が香ばしい匂いに勝てる訳がない。探るような視線を走らせたが、一口囓るなり夢中で食べ始めた。
「おいしい?」
 と、頭を撫でながら聞くと、飢えた子狐のようにガツガツしながら頷く。
(もう何日まともに食べてないんだろう)
 薄汚れ、ガリガリに痩せた手足を見ながら、マナは少年を悲しそうに見下ろした。
「僕はマナ。君は?」
「マ・ナ?」
 少年は食べるのを止めて、クッキーを握ったまま彼を見た。まるで焼き付きそうな視線にマナは僅かにたじろぐ。
 そして、悟った。
(この子は食べ物より、もっともっと『人』に飢えてるんだ…僕以上に)
「そう。マナ=ウォーカー。君の名前は?」
「おい、あんた!…え…っと、その話だがな。ヨセフ商会から横槍が入るとか、最後におじゃんになるとかねぇのか? クリスマスに人を担ごうなんざ悪魔に呪われっぞ!」
 肉屋は復活祭の皮算用を終えて、マナに指を突きつけた。せっかく打ち解けかけていた少年が殻の奥に引っ込む。マナは小さく溜息をついた。
「嘘じゃないよ」
「お前、旅芸人だろ。その時、騙されたって解っても、俺はどうすりゃいいんだ!」
 マナは少年の頭を撫でながら、腹立たしげに言った。
「もう、何か面倒臭くなってきたな。そんなに疑うなら止めてもいいって言ったろ?」
「だ、だから、待てって」
 マナは立ち上がった。
「腹を括れよ、オヤジさん。するか、しないか。欲の皮を突っ張らせ過ぎると、却って損するよ。
 あんたは男気溢れる評判の肉屋だろ。謝る時は潔く頭を下げな」
 肉屋はギリギリと歯ぎしりしていたが、グッと力を入れた。
「よっし、解った。約束を違えんなよ!
 坊主、悪かったな。
 さぁ、話は終わった。手前はさっさと教会に行って話をつけてこい。坊主はその間、ここで足止めだ。俺はすぐにも店のカウンターに戻りたいんだ」
「ちょっと待った」
 マナは苦い顔をした。
「契約っていうのは対等な立場の者がするもんだ。あんたのやり方は僕をパシリにする気かい?この子を人質にして。こんなビッグマネーを約束する契約の相手にそれはないだろう」
 マナは少年を抱き上げた。
「僕はみんなの前でちゃんと非を認めて、この子に謝って欲しいと言ったんだ。いくら何でも『坊主、悪かったな』だけはないだろう。
 あんたがそういう態度なら、この話はなかった事にするよ。この子と一緒に石造りの個室で聖夜を過ごさせたいというならそうしてくれ」
「う〜、もう。あのな。俺は…人に謝るのが苦手なんだ。滅多にやらねぇんだ。俺がすまねぇと言ったら、それは余程の事なんだ。そして、人前でなんてとんでもねぇ!勘弁して、この位 で…」
「潔くないなぁ。オヤジさん、ここは思案のしどころだよ?
 突然、ヨセフ商会を出し抜いて復活祭を取り仕切るなんて、人に色々勘ぐられかねない。事前の布石も必要だと思うな。景気のいい所を世間に見せなくちゃ。
 それとあんたの人柄をね。教会があんたにこそお任せしたいなんて言わせるのは、この街じゃ一つのステータスじゃないのかい?」
 肉屋の口がすぼまった。紳士などとは今まで一番自分に程遠いと思っていた。しかし、ヨセフ商会の向こうを張る気なら、気概とライバル意識だけではとても太刀打ちできない。『旦那』と呼ばれるだけの風格が必要なのだ。
 風格など一朝一夕で身に付くものではないが、下町の肉屋には肉屋としての持ち味がある。自分はそれをまず前面 に押し出していけばいい。
(人情か…)
 肉屋は腕組みした。人情紙風船と呼ばれる如く、脆くて当てにならないものだが、だからこそ、それを常に持つ人間は信頼され、愛される。疑心暗鬼でなければ、とても世の中渡っていけないが、客に愛される店は持ってみたい。だからこそ、タレを吟味し、本来二級品の肉の味をカバーする焼き方の腕を磨いてきた。これで本当によい肉を手に入れる事ができたなら、王宮にだって恥ずかしくない丸焼きを提供する自信はある。
「解った。俺も男だ。この際、盛大に謝ろうじゃないか。何せクリスマスだからな。
 その前に、坊主。これ、はめな」
 肉屋は大きな鍋掴みのミトンを二枚少年に放った。
「その汚ねぇ包帯じゃ、肉屋に不釣り合いだ。それにみんなの前に立つんだぞ。やっぱりその手を見せつけるのは酷だろうって。
 親父ならその位気をつけな、学者先生。人前で潔白を証明するのが正しい事ばかりじゃないんだぞ」
 思わずマナは頭を掻いた。肉屋はニヤリと笑う。
「その子は…あんたの子じゃないんだろう、先生。親っていうものは何かにつけて、我が子の名前を呼ぶもんだ。ジョン、あれしちゃ駄 目。ディック、これどうしたの。ミミィ、そうしなさい。うるさい位に意味なくな。
 だけど、あんたは一度もその子の名を呼ばない。知らないからだろ。それでどうしてそこまでその子を守ってやろうとするのか、俺には解らんがね。興味もねぇし。俺が興味のあるのは金だけだよ」
「これは…参ったな。本当にあんたは抜け目がない男だ。」
 マナは笑った。
「僕も男だから約束は守るよ。紙、あるかい?手紙を書くから」
 マナは包装紙の裏に手早く文面を書き付けると、最後に大きく奇妙な十字架の模様を書いた。ちょっと迷ってから名前の横に『クロス=マリアン神父』と署名を書き添える。
「これを今すぐ教会に誰か持たせてくれ。すぐ返事がくるから」
「馬鹿、言え。今日は一日中ミサだぞ。決定権を持ってる高位の司祭の連中が見るのなんか明日ならいい方だ。それに何だよ、そのヘンテコな模様は」
「おまじないだよ。さぁ、約束は守った。この手紙一枚でこの街どころか、この州全部の肉でも卸せるようになるよ」
「何の事だ?」
 マナは肩をすくめただけだった。肉屋は首を捻ったが、問い質しても意味はないので、ミサに向かう客の一人に手紙を言付けた。
「しかし、そんなんで結果が解るなら、俺はあんたを警察に直行させた方が早かったかな。嘘にしても、相当あんたはイカレてるよ。詐欺師にしても隙だらけだ」
 肉屋はマナを見つめた。マナは首を振る。全く、と肉屋は思った。クリスマスは安い酒が出回って、翌日ドブで凍死体がたくさん出る季節でもある。疑り深い筈の自分が、何故かこの男を信用してしまったが、タレの味付けにその安い酒を入れすぎてしまったからかも知れない。
 しかし、どうもこの男は人を信じさせてしまう何かがある。このいじめ抜かれていた子供ですら、ろくすっぽ喋らないものの、青年にピッタリくっついたきりだ。
 不意にドアがノックされた。ドアが開く。
「不躾ながら、夜分恐れ入ります。手紙を拝見致しました。手紙をよこされた方はどなたでしょうか?」
 肉屋はあんぐり口を開いた。そこには最高位の、ここには、肉屋の血に汚れた作業場には絶対に足を踏み入れない筈の大司教が立っていた。しかも今、ミサを行っている筈の最高責任者が。
「僕です。まさか、大司教自らが来て下さるとは思いませんでしたが」
 マナは進み出た。
「とんでもない! お手を煩わせるなど! 私の方から参ります」
 真剣な顔で言い放つ大司教とマナを見比べ、信じられない光景に肉屋と少年はただただ驚きに打たれて見入っていた。

 

前へ  次へ

 

55 STREET / 0574 W.S.R / STRAWBERRY7 / アレコレネット / モノショップ / ミツケルドット