クリスマスは感謝の心が贈り物になって現れる日だという。
 大司教を送り出してから、振り返った肉屋にはサンタクロース(もしくは、らしきもの)が乗り移った。余りに早変わりしたので子供が怯えて、マナの後ろに引っ込んだ程である。
 子供にはミルクにお菓子。マナには入れ立ての紅茶。
『ゆっくり食べなよ。もどしちまう…いや、お体に触るからね』
 と、言葉まで言い添えて。
 そして、店に出るのに『お坊っちゃまのお召し物』は相応しくないと言い張り、真夜中のミサに出る為、店を早じまいしようとしていた隣の洋裁店のマダムを無理矢理引っ張り込んだ。
 旅芸人が余り立派な体裁なのもどうかとマナは思ったが、この寒空である。子供服だけは何とかしないとと、思っていたので断りきれなかった。
 でも、フード付きのコートやズボン、下着から靴下、手袋、ブーツに至るまで、上から下まで新調し、最後に大きなミトンで締めくくった子供はとても可愛らしかった。自分の変わりように目をパチパチさせている顔が愛らしくてたまらない。
「無論、俺のツケにしといて下さいよ」
 肉屋はアレンを抱き締めて、頬ずりしているマナの背に恩着せがましく声を掛けた。普段、ケチな上に、境界線を越えてゴミを捨てられる為に、常々肉屋と諍いを繰り返していたマダムは目を白黒させて、肉屋を見つめる。
「さて、次はあんた…いや、先生の番ですな」
「僕はいいよ」
 マナは心から言った。金が欲しくてやった訳ではない。
「またまた、そんな。ねぇ?」
「………………」
 無論、不仲のマダムが返事をする訳がない。
「しかし、先生。あれですよ。そのお姿はちょっと……とても先生にはふさわしくありゃしませんから。まぁ、そんな『あのお方』とお知り合いの方が、何とまぁその申し上げましょうか」
 マナは黙るようにと咳払いする。だが、肉屋の口は鳴り止まず、結局、今、着ているのを仕立て直してもらう事にして、こざっぱりした服とコートを一着見立ててもらった。
 服を着替えて見違えたマナに、マダムも思わず年増の未亡人らしい色目を使ったし、普段、お世辞を使い慣れない肉屋ですら
「こりゃ、なかなか…普通の人…いや、ケンブリッジの学生でも通りますねぇ」
 と、訳の解らない感心の仕方をしている。
「さて、この他、何か欲しいものがありましたら、何なりと」
 マダムが退場した後も、肉屋はランプの精のような文句を繰り返した。
 確かに肉屋はスクルージの如く、三人のクリスマスの聖霊にもみくちゃにされて、慈善精神にあふれる真人間に生まれ変わったように見える。
 ただし、それは現在過去未来ではなく、金・名誉・権力のお馴染み堕落三人組だったが、今宵ベクトルが良き方角を指しているのなら、それもいいんじゃないかとマナは内心肩をすくめた。
(だけど、感謝祭だけでなく、この分だと生涯、恩を着せかねられないな)
 もし、老舗の商会といざこざがあっても、マナさえいれば怖いものはないと思っているのだろう。冗談ではない。こんな事は一回限りの手品のようなものだ。
「この子がトイレに行きたがってるから、ちょっと店を覗いてきたらどうだい、オヤジさん。僕らは用意できたら行くよ」
「ええっ? まさかこっそり逃げ…いや、お帰りにならないでしょうな」
「まさか。ちゃんとみんなの前で謝ってもらうという約束は済んでないからね」
「そりゃそうですな」
 肉屋はわざとらしく笑ってみせた。銃がうっかり弾詰まりを起こし、百羽の鴨の群を虚しく見送っている猟師のような目で肉屋はマナをまじまじと見ていたが、小僧にレジを任せきりなのが不安になってきたらしい。計算にもたついている小僧を監督する為、カウンターにすっ飛んでいった。
(やれやれ、だから『奥の手』は使いたくなかったんだけどな)
 マナは大きな暖炉の側にある木箱に腰を下ろした。トイレを済ませた子供は新品のハンカチで用心深く手を拭いている。
(品のいい子だな)
 マナは改めて、その横顔や仕草を眺めた。元の服から推測して、慈善箱に入れられていた物だから、孤児院にいた事は間違いない。躾に関しては程度の高い場所だったのだろう。もっとも、子供の痣の多さからして、その為に手を挙げる事も辞さないようだが。
 マナが見つめている事に気付いて、子供はおずおずと近づいてきた。だが、数歩の所で止まる。
(まだ、怖がっているのかな?)
 さっき抱き締めた時、抗わなかっただけにマナは少し落胆した。この子は本当に独りぼっちだったのだ。甘える事を知らない。
 だが、すぐ気を取り直した。人見知りの子供は多い。出会ったばかりの人間に数時間優しくされたからといって、すぐ心など開いてくれないだろう。
 野良猫だって、餌をもらう時は寄ってくるし、運が良ければ撫でさせてくれるかも知れない。でも、常に距離を取られるし、用が終わればすげなく行ってしまう。
 まして、この子は人間なのだ。
 クッキーをもらった。服をもらった。
 だから、何だというのだろう。
 そんな事は孤児院だってしてくれる。
「…僕がまだ怖いかな?」
 子供はフルフルと首を振り、ちょっと考えてから、小さくコクンと頷いた。マナは困って首を傾げる。
「どっちなのかな?」
「あの………」
 子供はおずおずと口を開き、俯いた。
「何だい?」
 子供はしばらく逡巡していたが、思い切ったように顔を上げた。
「あなたは魔法使い?」
「は?」
「それとも、天使様なの? 僕を連れにきたの?」
「ええ?」
 マナは驚いて、まじまじと子供を見つめた。すぐ笑いがこみ上げる。
「嫌だな。僕は只の人間だよ。只の旅芸人さ」
「だって…だって、あの怖いおじさんが、司教様がおじさんにはペコペコしたよ? おじさんが何か言うたび、服が出てきたり、お菓子が出てきたり……。
 解んないよ。僕、マッチも持ってないのに」
「マッチ?」
「おばあさんの出るマッチ」
「ああ」
 マッチ売りの少女か。マナは笑った。
(そんなにおかしいかな)
 子供は五歳程度の言葉を必死に集めて、何とか自分の気持ちや考えを伝えようとした。
 マナと肉屋や司教のやりとりも、自分に起こっている事も、子供には殆ど理解できなかった。赤ら顔の熊のように怖ろしい肉屋も、マナの召使いみたいに変わってしまったし、司教までが王侯貴族に接するが如く、マナに対して丁重だった。


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