「本当にくれるとは思わなかったな」

 

 マナは少し困ったように笑った。アレンが誇らしげに大きな包みを抱えている。中身は店中で一番大きな丸焼きだ。
「冗談のつもりだったんだがね」
「ハデに振る舞えと言ったのは手前ぇ…いや、あなた様でしょうが」
 肉屋に反対にやりこめられて、マナはありがたく肉屋のプレゼントを頂戴した。陽気なクラリネットのおかげで客の入りは上々だったのだから、まぁいいかと納得する。
「お願いだけど、その言葉遣いはやめてくれないか。不自然だよ、旅芸人に対して」
「しかしでございますな」
「駄目。それに裏口での事は口が裂けても喋らない事。チャンスをふいにしたくなかったらね。大司教様がこんな所においでになったとあんたが吹聴したら、色々とまずい事になるだろう?」
「まぁ、そうですがね」
 肉屋は何か言いたそうな目をしていたが、賢明に口を噤んだ。
(その方がいい)
 マナは思った。本当の問題は大司教ではなく、あの手紙の十字架なのだ。あれは色んなものを呼び込んでしまう。いいものも、悪いものも。
 普通の人間にはとても扱えないものを。
「最初はよ…」
 肉屋はマナにだけ聞こえるように囁いた。
「あんたがあの子を欲しがるのはサーカスに売り飛ばす為かと思ったんだ。旅芸人が子供を拾う理由なんか只一つだからな。だから、俺が脅せば、無理せず、すぐ引き下がるだろうと思った。
 だが、あんたはちょっと変わってる。いや、かなりだ。本当に旅芸人なのかってな」
 マナは虚を突かれた顔をした。が、すぐ笑って首を振った。
「それは…確かにそうだな。五年も経つのに、僕はまだ旅芸人の自覚に乏しいらしい。
 そうだね、生まれながらに旅芸人だった訳じゃないからな。でも、僕は正真正銘旅芸人だよ」
 肉屋はマナをじっと見た。
「まぁ、あんたがそういう事にしときたいならそれでもいい。俺の知った事っちゃない。
 あの子を大事にな。あんたが意地貫いて、俺から奪い取った子だ」
「ああ」
 マナはアレンを愛しそうに見つめた。
「後、一つだけ。あの小僧はどうするんだ? やっぱり辞めさせるのかい?」
「当たり前だ。あの野郎、小銭をやっぱりくすねてやがった。怒鳴りつけてやったから、数日は顔を見せねぇだろう」
 肉屋はフンと鼻を鳴らした。
「だけど、あの野郎は戻ってくるさ。姉貴は俺でもうんざりするぐらいのあばずれなんだ。あの野郎の行き場はここしかねぇ。だから、俺は裏口の鍵は開けておいてやる。誰だって、逃げ場は一つ位 持ってないといけないもんさ」
 マナは低く笑った。
「大変だね、あんたも」
「ああ、しょうのない身内を持つと苦労するぜ」
 肉屋はマナをじっと見た。
「今更何も言う気はねぇが、あの子はスペードのエースだぜ? 極め付きの。
 それでも欲しがるあんたの気が知れねぇな」
「………僕の足もそうだよ」
「それだけじゃねぇだろうが」
 肉屋は微笑んでいるマナを見つめていたが、やがて首を振って小さく舌打ちした。
「だが、もうあの子はあんたの身内だ。好きにするさ」
「………ありがとう」
  マナは肩をすくめ、アレンに向かって歩き出す。さくさくと雪が音を立てた。足跡に雪が降り積もっていく。
「あんたはもうこの店には来ないんだろうな?」
 肉屋はマナの背に向かって言った。
「おや、また来たら何か奢ってくれるのかい?」
「さぁ、どうだかな」
 肉屋は元のケチでしみったれで冷酷な男の顔を取り戻して言った。
「感謝の念は短いんだ。あんたは俺が気前よかった時間にもっとねだっておけばよかったと思うだろうよ。あんたが貧乏な旅芸人である以上」
 マナはアレンの側に立ち、肉屋を見返した。
「だが、いいミュージシャンとしてなら、その入口はいつでも開いてるぜ。客を喜ばせるのに音楽ってのはいいもんだ。俺も初めて知った。橋のたもとで儲けがしみったれてるならここに来な」
 マナは頭を一つ下げ、アレンを促す。
 肉屋の笑みが初めて優しい苦笑になった。
「そうとも、いつでも誰でも逃げ場は一つ確保しておくもんだよ」

次へ 前へ

 

55 STREET / 0574 W.S.R / STRAWBERRY7 / アレコレネット / モノショップ / ミツケルドット