ふ……と、エドの目が開く。いくらか眠れるようになったにしても、その眠りはまだまだ浅いのだろう。
『どうした?』
 というように目がアルを見る。衰弱していても、兄は兄だ。だが、たゆたうまなざしは余りに弱かった。
「……………」
 アルの訴えは口を開く直前に凍りついた。
 言えない。兄を少しでも苦しめたくない。
 この片手しかない兄に「ぎゅっ」としてなんて、自分は何て悲しい事を言おうとしていたのだろう。
 いずれ。
 兄に義肢が揃って、自分にもっともっと余裕が出来たら、その時頼もう。
  今は駄目だ。まだ駄目だ。一度口に出したら、自制心なんて効かなくなって、ぶちまけて、喚き散らして、茫然とする兄に、何も受け止める余力のない兄に、一方的に自分をぶつけてしまいそうだ。
 そして、二人して泣いて泣いて、感情を発散できればまだいいが、アルには出来ない。まして、兄はアルよりもその事実に傷つくだろう。
『俺のせいだ』
 兄が夢で繰り返す譫言。二人でやった事なのに、兄はそう頑なに信じ込んでいる。 その事もアルの言葉を封じ込んだ。
 アルは無理して声を立てて笑った。どうしようもない時は笑うしかない事を幼いながらに、既に彼は学んでいた。
「何でもない。ゆっくり寝てて」
 だが、その声の調子に何か感じ取ったのか、エドが深い色をたたえた瞳で不安そうに弟を見つめている。
「…アル?」
「何でもないから」
 言葉が震えそうで、必死に言葉を繋いだ。安心させようと、アルはもう一度兄の指を握った。小さな細い指。自分の大人みたいな手が握ったら、折れてしまいそうだ。
「嘘つけ」
 エドは小さな声で咎めた。元気だったらアルの頭をゴチンと殴っていただろう。お前の考えてる事なんてみんなお見通 しだぞ、と。
 だが、エドも常の彼ではなかった。自分でやった事なのに、まだアルの姿に違和感がある。これが錬金術でなくて魔法だったらどんなにいいか。目が覚めたら、アルにかかった呪いが解けて、元のアルが自分の側にいてくれたら。だけど、そんな事はありえない。解っている。解っているからこそ、鎧の下にアルの面 影を求めてしまう。
 エドはぎゅっとアルの指を握り返した。冷たい。固い。アルはこんな指じゃなかった。こんな体じゃなかった。誰がこんな体にした。こんな体に……。
 涙があふれそうになって、エドは指を掴んだまま、抱き締めるように体を丸めた。嗚咽が零れそうになって、必死に唇を噛み締める。
 戻さなければ。アルにかけてしまった呪いを解いてやらなくては。
 でも、でも、どうやって?
「……兄さん」
 腕を引っ張られる強さにアルは兄を起こしてしまった事を後悔していた。兄はまだ情緒不安定だ。支え合って立ち上がるには、もう少し時間がいる。
  そして、何かきっかけが。
(でも、何がある?)
 錬金術で失ったものは錬金術で取り戻すしかない。だが、師匠の家で悟った事だが、錬金術は相当お金がかかるのだ。貴重な文献は国中に点在しているし、門外不出だ。読みたければ、こちらから出向くしかない。関係者のみ閲覧可能なものも多いだろう。錬金術師は偏屈で気難しい人物も多いから、すぐ貸してくれるとは限らない。
  第一、それらの文献がある場所の情報をどうやって集めるのか。旅費は?滞在費は?
 父の残した金などすぐ喰い潰してしまう。働きながら、探していたら時間がいくらあっても足りない。第一、からっぽな鎧にまともな就職先があるかどうか。
『錬金術師よ、大衆の為にあれ』
 という常識は、旅の錬金術師へ仕事の代価に旅の宿も提供してくれるが、大きな収入を与えてはくれない。大抵の街には地元の錬金術師がいるし、彼らの縄張りを脅かすのは仁義に悖るからだ。錬金術の技量 に年齢の差なしといっても、子供が世間を渡っていくのは相当難しい。
『兄さん、頑張ろうよ』
 と、言うのは簡単である。だが、漠然とした励ましでは却って兄を傷つけるだけだ。具体的に何をどうしたら提案しなくてはいけない。
(本当にどうしたらいいんだろう)
 アルは途方に暮れた。アルが辛い時はエドが、兄が跪いた時は自分がしっかりしなくてはと、支え合って生きてきたのに、今、解決策が見いだせなかった。
「……アル、アル、ごめんな。ごめんなぁ」
 兄の目が自分を見上げている。潤んだ金色の瞳はそれでも涙を流さない。一度さんざん泣いた後、エドは二度とアルの前で泣かなくなった。それがアルには悲しかった。愛しかった。自分の代わりに泣いてくれてもいいんだよと言っても、兄は頑なに拒んだ。
『泣き言を言えるのは、弟の特権だから』
 エドはいつもそう言って、唇をギュッと噛み締めて笑う兄だった。
 その兄が自分を見上げている。切なく弟を求めている。
「……兄さん」
 アルはエドを抱き上げた。エドは片手で精一杯弟を抱き締める。
 ほんの少しの間だけ、世界が自分達だけになった。


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