(…あったかいな)

 アレンはぼんやりと思った。
 さっきまで全身が寒くて痛くて千切れそうだったのに、今はこんなに暖かい。

(マナ?)
(僕が壊した)

 二つの歓喜と絶望が胸の奥で炸裂し、手足の先までヂリヂリと焦がし、痛みばかり残った。
 でも、暖かくて快いのは変わらない。心が血を流すのを止めたくて、今がただこのぬ くもりに身を委ねていたかった。張りのある鞣し革みたいな皮膚と筋肉。たくましい腕と穏やかな呼吸。どれも死の床にあったマナから急速に失われていったものばかりで、それがひどく切なかった。
 ほのかな煙草とワインの香り、そして体臭はマナよりずっと強かったが、健康な大人の男の匂いだ。圧倒的で噎せるほどきつい。それはアレンを捕らえている冷たい死の気配を荒々しく蹂躙し、踏み潰し、圧倒し、その事に何の痛痒も感じていない。それが何となく痛快で、アレンの口元に微かな笑みを浮かばせた。

「…師匠」
 アレンは目を開けて呟いた。マナとは違う意味で

(ここは大丈夫)

 という確信を無意識に心の底に抱いた。それに促されて、そっと師匠の腕に触れる。

「…冷てぇ」
 ピシャリと頭上から声が降ってきた。軽い叱責を受けて、アレンははっきりと目を覚ます。
「まだ手足の血行が戻ってないんだ。触るな」
「は、はい」

 アレンは首を竦めて縮こまった。ようやく自分の置かれている状況を認識する。彼らはベッドの上にいた。クロスは上半身裸、アレンは全裸だ。額の絆創膏と包帯が巻き直されている。クロスは肩から団服を引っかけ、胡座を掻いてアレンを背後から抱き込んでいた。
 団服を羽織っているのは、毛布より保温性と通気性に優れているからだ。特に元帥クラスだと最上級品であり、羽毛布団より軽く暖かく、夏は涼しい。どういう怪力なのか、重いダブルベッドを暖炉の側に強引に寄せている。おかげで豪華な絨毯に盛大な引きずった跡がついているが、クロスの心が痛んだ様子はない。

「アレン、俺はな、解りきった事を繰り返すのが大嫌いだ。俺の許可なく勝手に死ぬ な、馬鹿弟子」
「…すいません」
 アレンはますます縮こまった。

「俺は自殺したい奴は好きに死ねばいいと思っているし、泣き言を言えば張り倒す。
 泣きたけりゃ、衣装タンスに顔を突っ込むなり、洗面所で顔を洗うなり好きにしろ。子供がツライ時、泣くのは当たり前の事だ。
 だが、それを俺の鼻先にぶら下げるな。俺は同情も憐憫もする気はない。俺はお前をかわいそうだと思ってないからな」

 アレンは俯いた。憐れんで欲しくないが、突き放されるのはひどく悲しかった。それではまるで憎まれているようではないか。マナというフィルターがない限り、世間から好意的に見られた事はなかったが、今だけは優しくしてほしかった。慰めが欲しかった。
 アクマのまがまがしさを知ったし、エクソシストの道程が過酷な事も朧気ながら察している。それでも、自分の人生が乾ききった冷たいものだけで耐え続けられるだろうか。
 それが自分の犯した罪なのだとしても、マナへの想いだけでいつまで歩き続けられるだろう。

 こらえきれなくて、アレンの目尻に涙が浮かんだ。こんなにここは快かったのに、今は氷の牢獄にいるようだ。これ以上嫌われたくない。必死で涙を止めようとしたが、無理だった。せめて、泣き顔だけでも見られまいと深く俯く。

「アホウが」
 不意に後ろからギュッと抱きしめられて、アレンは驚いた。クロスはアレンの顔が見えない筈だが、気配で察したのだろうか。だが、アレンは戸惑うだけだった。クロスは涙もガキも嫌いな筈なのに。なのに、どうして抱きしめてくれるのだろう。少し罪悪感を持ってくれたのだろうか。

「何故泣く?」
「…ごめんなさい。泣いて…顔、洗ってきます」
「いらん。あやまるな」
「だって、師匠は僕を好きじゃないんでしょ? どうして僕を助けたんですか? 対アクマ武器を持ってるから? それとも気まぐれですか?」
 クロスは怒ったように眉を顰めた。

「お前の全身に十字架があろうが、ペンタクルがあろうが、俺にはどうでもいい事だ。年齢も出生も素性も性格も品位 も、エクソシストである事に何の関わりもない。神の選択は俺達人間には計り知れん。
 お前はガキだ。しかもバカだ。だが、腰抜けじゃなかった。
 そういう者は生きるに足る。だから、連れ帰った。
 お前は俺に命の借りが出来た事を忘れるなよ、クソ弟子。目一杯返してもらうからな」
「…はい」
「聞こえん」
「はい!」


 アレンの胸は震えた。武器があるからという理由でない事が嬉しかった。むしろ『生きるに足る』と言われた事が誇らしかった。この男の心を動かしたのだ。訳もなく心が高揚する。
が、肝心の左腕がまるで使えない。今日はクロスが現れたからいいようなものの、次も運がいいとは限らないのだ。これで本当にエクソシストになれるだろうか。

「師匠、この腕の事、もっと教えてくれませんか?」
「ん?」
「今日、アクマに囲まれた時、どうやって発動していいか解らなかったんです。念じても、振り回しても全然変わらなくて。で、もう駄 目だって地面に伏せたらいきなり発動して、それで弾だけは防げたんですけど」
「ああ、多分、お前の腕は感情の高ぶりに反応してるんだな。神の武器だろうが、兵器は兵器だ。正義感なんてお題目じゃ動かない。痛い、危ない、おっかない。で、腕がミョインだ。パニクッた新兵が銃や剣を滅茶苦茶に振り回すのと同じだな。
 今度、俺についてくる時は先に言え。危ないから、俺は逃げる」
「冗談事じゃないです。それじゃ…戦えません」
「そうだな」
「どうしたらいいんですか? どうやったら僕はこの腕が使えるようになるんですか? 自分の腕すら満足に思うようにならないなんて。マナの事も思い出してしまうし…これじゃ、いつまでたっても前に進めません。
 僕は…僕はエクソシストになりたいです。解放されて、あの人達の笑った顔が見たいんです」

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