クロスが答えるまで間があった。
「それは少し違うな」
「え?」
「人間はそんな博愛主義者じゃない。まして、お前の中にいるのはたった一人だ。俺はお前の悲鳴を聞いたぞ。地獄に堕ちても構わないと言ったな。罪も神もお前にはどうでもいい事なのさ。得たかったものはたった一つ。それがお前の本音だ。お前が何をやるにせよ、全てはそこに繋がっている。お前の本当の望みは何だ、アレン」
「僕は…」
 アレンは躊躇った。クロスの前で隠し事は出来ない。すり替える事もだ。

「あの人達の笑顔が見たい…というのは本当です。
 だって、消えるような気がするんです。マナのあの時の悲鳴が。僕が壊した時のマナの悲鳴が耳から消えないんです。僕はあれを消したい。魂達が悲鳴を上げているのを視ると、マナの悲鳴とかぶるんです。あれを静かに出来たら、あの人達が解き放たれて楽になったら、マナも同じ気持ちで天に召されたと思えるんです。僕を許してくれたんじゃないかって思えるんです。

 マナは最後に『愛してる』って言ってくれた。あんな姿になっても、僕に壊されても愛してると言ってくれた。

 だから、僕はマナが楽になったのを視たい。どうしても視たい。あの笑顔で笑ってくれたら、僕は何もいらない。僕は大罪を犯した。なのに、何も得なかった。自業自得だと解ってるんです。伯爵は憎いけど、僕がバカだったんだ。だから、マナに許されたいなんて思ってない。
 でも、だから、僕はアクマを壊し続ける。あの時を繰り返す為に。悲鳴を消したい。彼らを解放したい。
 マナの為に。マナの代わりに…そしたら、僕も少しは楽になれるから…」

(ジレンマだな)

クロスは暗い顔で首を微かに振った。
一番見たかったものが見えない。会いたかった人間に会えない。人は届かないもの程、焦がれ、渇望する。
 アレンはアクマを壊すだろう。彼らに喜ばれ、満足し、癒されるだろう。一時的には。
 だが、決して満たされる事はない。本当に会いたい相手ではないからだ。アレンの眼の傷は塞がらず、じわじわと乾きを増していく。それを潤す為に、アレンは壊す事をやめられない。戦いに駆り立てられ、もっと多くのアクマを、強いアクマを壊そうとせずにいられない。

 だが、エクソシストとして。アレンが強くなればなる程、左目はアレンの肉体を浸食していく。最初にマナが植え付けた小さな種子は根を張り、伸ばし、細胞に食い込み、アレンの中で育っていく。
 アレンもアクマと同じなのだ。アクマが魂の嘆きと罪悪感で進化するように、アレンの渇望と悲しみと決意が左目を進化させていく。
 そして、マナがそれを意図してアレンに呪いを与えたのだとアレンは知らない。マナは最初から知っていた。アクマになるのも承知していた。でなければ、今から殺す相手にどうして呪いなど植え付けるだろう。

「果てのない望みだな。それで安堵が得られるならやってみるがいい。全部、倒し尽くして、最後に残ったアクマに対峙した時もそう思っていられるなら」
「え…?」
 含むような響きにアレンは思わず顔を上げる。クロスは苦く笑った。


「まぁ、いい。だがな、アレン。だとすれば、お前はただ一人で険しい道を往く事になるぞ。恐らく、アクマの魂を救済したいなんて思っているエクソシストはお前だけだろうからな」
「どうしてです? 人の魂を救うのが聖職者の務めなんじゃないですか?」
「神父は『生きている』人間を救い、導くんだ。死人には興味ないな。献金してくれる訳じゃなし」
 アレンは眉をひそめた。

「冒涜じゃないですか、それ。死者に安息を与えるのも、神父の務めでしょ? 彼らは苦しんでるんです。師匠だって、アクマの魂が苦しんでるって知ってたじゃないですか」
「また聞きだ。お前以外にも昔、視える奴はいたんだよ。伯爵はお喋りだから、自分の手際を公表したがるしな」
 クロスはにべもなく言った。

「お祈り唱えて、ロザリオをまさぐったところで、アクマは救われないんだよ。だから、叩き壊してやってるんだろうが。それが唯一の方法だ。彼らの魂を救いたいんなら、アクマの身体を生きた檻か鎖と思うんだな。
 いいか、アレン。アクマが視える奴は現在、お前ただ一人だ。お前に彼らがどう視えるか俺には解らん。想像した事もないし、教えてくれなくてもいい。彼らの事情を考慮してやる気もなければ、同情する気もない。解るのは戦場で向かい合った敵同士は躊躇った方が死ぬ という事実だけだ。
 アクマは生きた兵器だ。そう割り切った方が悩まんでいい。例え、正体が何であれ、人の形をしているものを壊す事は心が冷えるからな。

 まして、教団の人間やエクソシストはみな仲間を殺されている。何百人もだ。敵を救ってやろうなんて奇特な考えを持つ奴は弾き出されるぞ。視えない奴に『解って』もらう事は並大抵の事じゃないからな。
 神父はまず生きた者を守る事を優先する。俺の言う事に間違いはあるか、馬鹿弟子」

 アレンは必死に首を振った。
「解ります。でも…でも、彼らの魂に罪はありません」
「そうだ。だから、どうした。それで彼らの攻撃が止まるのか。お前の考えを聞いて喜ぶのは伯爵だけだろうよ」
 言いながら、クロスはイライラしてきた。デジャブだ。これと全く同じ議論を昔やった。永遠に平行線を辿った不毛な議論を。

「お前がアクマを憎みきれないのは、奴らがお前と同類だからだ。弱い哀れな人間という奴さ。世界じゃこの瞬間にも何万人と人が死んでいくのに、誰もそんな事は気にしない。その分、生まれて補充されていくからさ。自然の摂理があるからだ。

 だが、人は愛するたった一人の死にも耐えられない。今日、お前が出会ったのは、ほんの一握りだ。ありふれてるのさ、お前のような悲劇は。伯爵はせっせと野良稼ぎに精を出し、哀れな犠牲者を収穫する。俺はずっとそんなのを見てきた。お前をかわいそうなんて思う時期はとっくに過ぎてるのさ」

「じゃ、師匠は何故戦っているんですか?」
「俺がエクソシストだからだ」
 クロスは呆れたように言った。

「俺自身の理由なんぞ、お前に話す気はないね。これは俺自身の問題で、お前のやる気とは一つも関係ないからだ。お前はお前自身の問題と向き合ってればいい。まずはこの程度でぶっ倒れないように、体力をつけろ。修行はそれからだ」


 そこへティムが飛んできた。クロスは頭を振って、その黄色い突撃をかわす。見た目ほど重量 はないのだが、このスピードで飛んでこられると鞭打ちになりかねない。突っ込んだ毛布の山から不服そうに顔を出したティムにクロスは言った。
「湯加減は?」
 ティムは返事の代わりに歯を剥き出した。クロスは肩から団服を羽織ったまま、アレンを抱き上げる。

「風呂を入れた。あったまって、とっとと寝ろ」

 クロスが最上級のホテルを選ぶのは、どんな状況でもすぐ対応出来るからだ。三流ホテルと違い、湯が欲しければ、蛇口を捻るだけで済む。壁も厚いし、滞在客も多いと、アクマも表だっては仕掛けてこない。

「でも」
 アレンは慌てた。クロスに洗われるのは怖い。出来れば一人で入りたかった。
「でも、何だ」
「もうそんなに寒くないし、傷に染みるし、包帯してるし」
「風呂が嫌いか」
「…そうじゃないですけど、今夜は…」
「好きになれ」
 クロスは浴室のドアを足で開けると、有無を言わさず、猫足浴槽にアレンを投げ入れた。


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